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2月26日(月)−3月1日(木)の発言内容
From: 坪田 知己  2001/2/26 23:24
Subj:【228】司会 〜 逆転の発想・クリエーターとリスナーを共通利害者にするアイデア
【要点】逆転の新発想、リスナーが基金を作る
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昨日の日曜にテレビを見て、閃きました。「なあーんだこんなことか」という啓示でした。短いドキュメンタリーでしたが、なかなか面白かったので、ご紹介します。

舞台は、本州最南端の和歌山県串本町の田並小学校というところでした。

ここで、昨年の秋、6年生8人が、卒業記念に、宮沢賢治の作品を琵琶で弾き語りする林洋子さんに、来演を頼みました。林さんは、「本当にやりたいのなら、汗を掻き、知恵を出して実現すべき」という考えで、「旅費と公演費21万円を払うのなら」という条件を出した。

子供達は驚いたが、どうしても実現したいと思い、牛乳パックを溶かして紙を作り、手書きのチケットに大人1000円、子供500円と書いて、地域の家々を全部回って購入を頼んだ。初めは「林洋子って誰?」とか「宮沢賢治の詩なんかわからない」とか、冷たい反応もあったが、子供達の熱意で300枚を完売、この21日に公演にこぎつけた。

子供達は、公演を聞けたことより、営業に回った事で、その難しさが分かり、地域の人との心のつながりも強まったことが収穫だったという。担任の先生も「ちょっと大人に近づいた」と喜んでいました。(この話は2月16日の朝日新聞「天声人語」でも紹介された)

このドキュメンタリーを見て、我々がネット会議で議論した「クリエーターへのインセンティブ」の問題の「解」があることに気付きました。

というのは、リスナー側が集まってエージェンシーを設立して、そこに基金を集め(株にして投資としてもいい)、クリエーターの時間や、録音を管理するということです。

リスナーは、クリエーターの価値が上がると、時間を他のエージェンシーに高く転売できる。ということは、価値を高めようとするインセンティブが働く。ということで著作権を守る方に傾かざるを得ないという仕掛けです。

このエージェンシーはインターネット送信権も持つが、基金の加入者には音楽を暗号化して送り、会員は特定の鍵を持っていて、それで復号化して利用する。不正コピーは、自らの投資対象の機会損失になるから、しないし、させない。

CDの購入代金の一部が株の購入になっているという形もあると思います。そうすれば、売り手と買い手(片方は高く、片方は安くという対立構図)の「共通利害関係」が取り結ばれて、「育てる」という動機が働くと思います。(会津泉さんが、かつて「私の講演を聞いた人には株を渡して、私の価値が上がればあとで大きくお返しができる」と言った話をヒントにしています)

単独のクリエーターのためのエージェンシーでもいいし、あるジャンル、あるいは投資信託のファンドマネージャーのように、株価を上げるためのエージェンシーであってもいい。そういうものが競争するというのは面白いと思いませんか。

資本主義社会のリーダーである米国では、多くの大企業の大株主に「××年金基金」という名前がある。労働者の年金が「資本家」側に回っている。このことを経営学者のピーター・ドラッカーは早くから指摘し、もう搾取なんて話は通用しない。いかに効率的な経営をするかを労働者が学ぶ時代が来たと言った。

我々は、どうも頭が固すぎたのかもしれない。アルビン・トフラーのいう「煙突型産業」は「大量生産=供給者主導」だったし。顧客は「不特定多数」だった。

ネット時代は「利用者主導」だろうし、顧客も「特定少数」から「特定多数」へと育っていく。

「供給者――利用者」の間に「育てる人・機関」というものが育ってきてもいいのではないでしょうか。

商品を会うとプッシュアウトするのが企業でなくて、評価し、買いつけ、育て、仲間に紹介する――という「プル型」のビジネス(私は「ユーザー側に立つエージェンシー」と呼んでいます)がむしろ主導権を握る時代が来るのではないか――こう書くと、なにか生活協同組合に似ているような気がしますが、「たのみコム」などの事業形態を見ていると、既成観念からすると180度正反対のビジネスが広がっていきそうな気がします。

つまり、ドライなビジネス社会を、気持ちの通うコミュニティにしてしまうというのも、社会のあり方の一つのベクトルではないでしょうか。

こうした新しい事業形態が一つの解決だと思います。

もう一つの手口は、世界中のすべてのパソコンを「POSレジ」にしてしまう――という考えです。パソコンや複写機のように、著作物の複製・流通ができる手段が野放しになっているのは、どう考えてもおかしい。すべての著作物にバーコードをつけ、複製したコンテンツの種類と量を記録し、中央のコンピュータでその記録を吸い上げ、使用額をパソコン・複写機の所有者の口座から引き落とす。それは当然のことだと思います。

ということで、とにかくコンテンツにインターネットのメール・アドレスのように、一意の番号をつける。そして課金機構を開発する。(これは安田先生やNTTの岸上さんがリーダーでやっているコンテンツIDフォーラムの考え方です)

現在のインターネットは、アドレスに権利があるが、不正コピーをしないとか、課金に対応するという当然に思われる義務がない。これはよくないと思います。

この程度の合意ができないと、本当に世界のコンテンツ産業は、ネットの泥沼で溺死してしまうと思います。

私は、上記のどちらも重要だと思います。こういう発想をどう思われますか。ご意見をお聞かせ下さい。
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From: 坪田 知己  2001/2/27 0:50
Subj:【229】司会 〜 逆転の発想・クリエーターとリスナーを共通利害者にするアイデア
クリエーターを育てるファンドや株を「ブリッジ・ファンド」とか「ブリッジ・ストック」と名付けたいと思います。作り手と使い手の間に橋をかけるという意味です。

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From: 本荘 修二  2001/2/27 7:42
Subj:【230】逆転の発想・クリエーターとリスナーを共通利害者にするアイデア
本荘事務所/ジェネラルアトランティックの本荘修二です。元ゲーム業界国際マーケ担当だった経験ももとにしての発言です。

【要点】ユーザー直だけでない利用料徴収の仕組みが必要。ネットによる利用計測で著作者に分配、しかしユーザーの使い勝手が大切。
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ビジネスからみた、ここで議論されている著作権のポイントは二つ:

・コンテンツ提供者は著作物が利用される分の対価を求める(プロモーション用を除く)
・利用者の多数が無料で利用したがる、かつpiracy(不法コピー)を商売にする事業者があとをたたない

坪田氏(発言【228】)の「リスナーによるエージェンシー」案は、例に出た小学校では可能でしょうが、世界各国のリスナーということになると現実性に乏しいです。リスナー

の意志によるなら熱烈なファンが参加しているファンクラブの延長上にしかならないでしょう。やはり(坪田氏もCD代金の一部との案を出されてますが)自動的・強制的にお金を徴収する仕組みをつくるしかないでしょう。

すると、どこからどのように金を集める、ということですが、
・利用者への直接課金
・事業者から徴収
の二つがありますが、利用者への直接課金はクッションをおかないと難しいでしょう。つまりCD代やP2Pサイト会費などに含ませるという方式。中野氏(発言【204】)の言われるように性悪説の視点も現実には不可欠です。抜け道を考える人がでてきます。事業者からの徴収がもっと重要です。ラジオやカラオケでの利用も事業者がJASRACにお金を納めなければなりません。ナップスターは、向こう5年で1000億円あまりの支払いをレコード会社に提案したとか。いずれにせよ、金をとる仕組みなり機構なりがまず必要です。

そして、利用の計測については、課金と分配の問題は別に考えた方がよいかもしれません。前述のように、必ずしもエンドユーザーへの直接課金がすべてとは思わないからです。坪田氏の「世界中のすべてのパソコンを「POSレジ」にしてしまう」は計測の面では面白いと思います。ネットで計測するというポイントでは松武氏(発言【202】)の論に基本的に同意です。しかし、全世界の完璧な利用量の把握は、困難かもしれません。ラジオやカラオケも実際はどんぶり勘定で著作者側に分配されているとか聞きます。簡便な方法でよいでしょう。

現状は、しっかりした著作権保護機能を使って楽曲を買うと、面倒な処理のため3分の楽曲を購入するのに10分もかかったりします。ユーザーの使い勝手も大切です。

もちろん、著作権尊重教育や啓蒙は、大切なのですが、冒頭に述べたユーザー/事業者の状況そして各国の著作権保護の脆弱さを考えると、何年かかるか分かりません。目前の問題に対処するには、まずは現実論からと考えます。

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From: 松本 功   2001/2/27 10:31
Subj:【231】逆転の発想・クリエーターとリスナーを共通利害者にするアイデア
【要旨1】 リスナーを「プロモーター」に変えるのは誰か?
【要旨2】 コミットメントという仕組みに変える
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1)坪田さんの例を拝見しますと、林洋子さんというアーティストが、消費者的なリスナーであった小学生たちをプロモーター的なリスナーに変えて、成功した例である、といえると思います。

この例は、とても興味深いものです。

と同時に、基本的に編集者である私としては、出版社に手紙が来て、○○さんの講演を聴きたいという手紙が来たとして、著者が、林さんのようにいうことは可能でしょ うが、編集者はいえないような気がします。

いえるとして、著者のマネージャーまでではないか、と思います。

編集者自身、プロモーターといってもいい側面を持っていますが、プロモーターがリスナーにプロモーターになって下さいとはいえないような気がします。

もうひとつは、林さんのリアルな演奏を求めているということです。一回限りの、目の前のパフォーマンス。私は、音楽や演劇にはこの可能性があると思います。坂本龍一さんとか、そんなビッグな人、マスの人には難しいかも知れませんが、クラブとか、ホールとかで、実演で生きていくということは、不可能ではないでしょう。

一方、マスの消費について、あるいは複製コンテンツについては、ほとんど、困難なのかなと思ってしまいます。

2)この点でも、複製物の消費という点では、消費されきってしまうのは、もうどうしようもないことなので、私は、消費というパラダイムではなく、コミットメントという仕組みに変えるということを提案したいと思います。

たとえば、パソコンの中に、電子楽器を埋め込みます。その演奏方法は、キーボードからでもいいですし、電子鍵盤からでもいいですし、電子的な笛とか、テルミンのようなインプッドメソッドでもかまいません。ネットワークにつながった電子楽器を何らかの形で、操作・演奏できるものを組み込みます。

ワークショップ形式で、時間を決めて、参加者が、リハーサルを行います。その段階で、参加者全員が、音を出すことができます。最終的には、本番があり、これらはストリーミングで商品としても流せますが、その際に、へたくそな人の音は、申し訳ないながら、聞き取れないようなわずかな音量になりますし、きちんとした人であれば、セッションのようにおおきなパートとして参加できます。グヌーテラを改造すれば、できる仕組みだと思いますが、どうでしょうか?

CIDF的に言えば、演奏に参加している人は、その人の音とIDが、当然ながら、そのデータに注入されます。へたくそであっても、そのIDを指定すれば、自分の音が大きく聞くことが出来ます。

坪田さんのモデルを使えば、参加しない人は、買えない。参加した人から、直接買うしかないという仕組みにしておけばいいのだろうと思います。買うためには、参加するか、参加した人から買うしかない。買った記録は、参加した人の後に孫孫と続いていく・・・。

音楽は、参加することが可能ですが、テキストはどうでしょうか。私は、かなり悲観的です。参加できるテキストモデルが、あるとしたら、非常に優れたグループウェア(+坪田さんのようなモデレーターがいる必要があります)みたいなものではないかと思います。

セミクローズドなグループウェアで、コアな発言者とモデレータが存在する上に、お金を払って参加する人がいる。発言しない人は、参加していないということで、罰金を取られるか、脱落してしまいます。発言という参加をしていないと読むこともできない。モデレーターによって、整理されたアウトプットは、シンクタンクに買われて、それをさらに啓蒙的にしたものを、シンクタンクが、啓蒙的出版社に売っていく・・・。

別段、新しい考えでもなく、現状が既にそうなのでしょうか?

しかしまた、非現実ということではなく、そうならないと生きていけないところまで、きているのではないでしょうか。
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From: 加藤 良平  2001/2/27 12:50
Subj:【232】最終的には「鑑賞権」の購入ではないか/Re:逆転の発想...
【要旨】少なくとも「ネット販売されるコンテンツ」は、最終的には中味のダウンロード、という形ではなく、「鑑賞権」を購入し、その都度ネット経由で鑑賞する、という形ではないか。
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クリエーターを育てるファンド(ブリッジ・ファンド)という考え方、面白いと思います。

思いっきり単純化していうと、例えば新人のCDを最初は3059円で売り出すが、5万枚以上売れた場合は、それまでに買った人には500円ずつバックしますよ、みたいな考え方ですよね。確かにそういうインセンティブがあれば、コピーはさせたくないだろうし、アーティストを育てる、という意識にもつながるような気がします。

後半の「POSレジ」化に関してですが、いくつかの条件が満たされたあかつきには、少なくとも「ネット販売されるコンテンツ」は、中味のダウンロード、という形ではなく、「鑑賞権」を購入し、その都度ネット経由で鑑賞する、という形ではないかと思います。(既存のCDの違法コピーに関しては話は別、管理が必要とは思うが自動的に課金されたりしたら不気味)

いくつかの条件とは、以下のようなものでしょう(他にもあるかもしれない)

-高速通信のコストが、鑑賞権購入代金でまかなえるくらい、安くなる
-ダウンロードせずにリアルタイムで音楽や映像がストレスなく鑑賞できるような、内部処理やヒューマンインターフェイスが確立される。
-現在のダイアルアップとは異なり、個々の端末にIPアドレス(IPv6)がきちんと定義され、それによる制限が可能となる
-ダウンロードできないような技術的しくみ(その時点での通信のshake-hands状況と連動させる、など

こういった条件がどこまで夢物語かはわかりませんが、実現できれば一番わかりやすいし、「一回鑑賞は200円だけど無制限鑑賞は500円」といった制限もやりやすいと思います。鑑賞権のプレゼントなんていうのも、出てきそうですね。
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From: 石黒 憲彦  2001/2/27 17:04
Subj:【233】知の共有ー経済産業省の試み
【要旨】「イノベーションが創発されるインフラとして知識のダムを創る」
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山下さんでしたでしょうか、「知の共有」というテーマがありました。私のところでも産業技術知識ベースを構築しようという予算を取り、今年度から取り組んでいる施策がありますので、この場を借りて宣伝方々ご紹介させて頂きます。

プロジェクトのニックネームは「知識のダム」を作るという意味で「デジタル・ニューディール」と名付けています。経済産業省(具体的には経済産業研究所)のホームページに「技術の達人」サイトというのポータルサイトを立ち上げ、ここに、大学、国公立研究機関、民間企業などに眠る技術知識を蓄積し検索可能にするとともに、研究者、技術者、技能者個人も検索できるknow−whoのデータベースにします。さらに、草の根的な技術情報フォーラムを構築し、自由に意見交換を可能とするというアイディアです。

登録は企業が会社の立場で登録する場合もありますが、個人によるボランタリーな登録をむしろ主に考えています。特許公報もデータベース化されていますが、弁理士や企業の知的財産権の担当者などそれなりの専門知識がないと内容がわかりません。このサイトでは技術情報を読んだだけで、ある程度どういう技術か、どういうものに使えそうかイメージが湧くようA4で1〜3枚程度の分量にまとめて知識ベース化します。いくつかのジャンルに分け、研究室における研究論文レベルの情報もあれば、生産現場におけるノウハウ的な情報や中小企業の技能者情報も検索できるものを目指しています。

当面は学会を足場に、大学、大企業の協力を得て知識情報を蓄積し、やがて個人、中小ベンチャー企業の自発的参加を得たいと考えています。具体的には産学の著名な研究者、技術者、経営者によって構成される日本工学アカデミーや傘下に101の学会を抱える日本工学会、そして独立行政法人に向かって意識改革を進めようとする東大工学部、これに電子電気、自動車、機械などの著名な20社程度の企業に協力の内諾を得て本日運営委員会の第1回を開催しました。もちろん経済産業省傘下でこれまた独立行政法人化するの筑波の産業技術総合研究所も絡んで進めます。

これから順次参加企業や大学、研究機関の数を増やすとともに、中小企業には既に草の根的な異業種交流ネットワークがいくつかありますので、これらも順次参加をお願いし、その輪を広げて行きます。

またTLO、テクノマート、JICSTなど公的機関による類似のサイトや民間企業で特許情報や文献抄録のDBがありますが、ご理解を頂ければ極力リンクを貼り、可能であれば一緒に検索できる仕組みを作ってシナジーを互いに高めて行きたいと考えています。試験サイトは8月公開を目指して準備中です。

イノベーションは違うドメインを持つものが触れあうことによって生まれることが多いと言われます。また、ビジネスニーズと触れあうことで研究開発も効率化します。国内には競争力ある技術者や研究機関がありながら、異分野の専門家同士が出会える場やニーズとシーズの出逢いの場が不足しているという危機感からこの施策に取り組んでいます。日本では、企業と企業の壁、大学と企業の壁、大企業とベンチャー企業の壁など様々な壁があり、本来出逢いがあれば活かせ、イノベーションが生まれる可能性のある知識、人材が眠っています。この状態のアンチテーゼがシリコンバレーモデルではないでしょうか。日本においても学会などはもちろんありますが、学会の領域を超えた場はなかなかありません。せっかく特許をとりながら結局会社内では事業化できないアイディアで悔しい思いをしている研究者、技術者は結構いるのではないでしょうか。また、大企業やある業界では当たり前の知識が中小企業や別の業界では革命的なノウハウであったりすることは、あるのではないでしょうか。日本のように人材の流動性が低い中にあってイノベーションを効果的に生み出すためには、各企業や大学に眠った知識、人材の出逢いサイトが不可欠ではないかという思いでこの施策に取り組み始めました。

このサイトがイノベーション創発の一助になればと願っていますが、実際にやろうとすると難しさも感じています。学会、大学、公的研究機関は技術情報を公開することに抵抗はないのですが、研究者、技術者に登録のモティベーション付けのためにどのようなインセンティブを与えるのかという問題があります。また民間企業の場合には、競争上重要な情報は当然非公開で、公開できるものはくずばかりという可能性があります。また、私たちは企業の研究者が個人として情報登録し外部知識、外部人材とのふれ合いすることは会社利益にそれほど反しないと考え企業側は個人のそうした活動を奨励して欲しいと思っていますが、企業側には人材の流出や知識の漏洩を心配する考え方もあります。企業秘密の漏洩や人材の流出について注意が必要としながらも、大多数の企業は、総論としてはこの施策をポジティブに評価し参画してくれたのですが、某社は、協力しても自分たちから持ち出すだけで、明確なメリットがないという理由でネガティブな対応でしたのでいささかがっかりしました。役人が現場の感覚を理解せずに頭で考えすぎて企業側の論理や個人の参加者の心理を無視した施策を行えば失敗するのは明らかですので、某社の対応は私にとっていい戒めになりましたが、個人的には逆にファイトが湧いてきた次第です。
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From: 太田 秀一  2001/2/28 3:49
Subj:【234】知の共有ー経済産業省の「企業間KM」の試み
経営コンサルタントの太田でございます。石黒さんが提起された本件は、私の専門分野たる「企業内」ナレッジ・マネジメントの隣接領域ですので、以下、論評します。

【結論】企業間のナレッジ・マネジメントを進めるキーは、個人参加の専門家団体。
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【233】石黒憲彦
プロジェクトのニックネームは「知識のダム」を作るという意味で「デジタル・ニューディール」と名付けています。経済産業省(具体的には経済産業研究所)のホームページに「技術の達人」サイトというのポータルサイトを立ち上げ、ここに、大学、国公立研究機関、民間企業などに眠る技術知識を蓄積し検索可能にするとともに、研究者、技術者、技能者個人も検索できるknow−whoのデータベースにします。さらに、草の根的な技術情報フォーラムを構築し、自由に意見交換を可能とするというアイディアです。
なるほど、「企業間」での「技術の達人 Know-Who」ポータル構想、ですね。以下の理由から、正しい方向と思います。

・各企業の競争力の源泉となるナレッジは、一部、企業「外」にあるから。

・貴重なナレッジは、世の達人たちが公表した「成果物」だけでなく、本人の頭の中にも、たくさん入っているから。

さらに、それを発掘するのに有効なのは、静的なスキルDBではなく、「フォーラム」での「意見交換」であり、とりわけ「目先の応用問題を解決するためのQ&A」である。

ですから、今回の「デジタル・ニューディール」の試みは、方向としては、たいへん正しいと思います。

では何故、次のような問題が今回、起きたのか。
このサイトがイノベーション創発の一助になればと願っていますが、実際にやろうとすると難しさも感じています。学会、大学、公的研究機関は技術情報を公開することに抵抗はないのですが、研究者、技術者に登録のモティベーション付けのためにどのようなインセンティブを与えるのかという問題があります。また民間企業の場合には、競争上重要な情報は当然非公開で、公開できるものはくずばかりという可能性があります。また、私たちは企業の研究者が個人として情報登録し外部知識、外部人材とのふれ合いすることは会社利益にそれほど反しないと考え企業側は個人のそうした活動を奨励して欲しいと思っていますが、企業側には人材の流出や知識の漏洩を心配する考え方もあります。
その根本的な原因は、おそらく次の通りでしょう。

・日本では、業界団体が多いが、専門家団体が少ない
http://dir.yahoo.co.jp/Business_and_Economy/Organizations/Professional/
・米国では、業界団体も多いが、専門家団体は、もっと多い。
http://dir.yahoo.com/economy/organizations/professional/
しかも日本では、その専門家団体ですら、参加資格が「企業単位」になっており「専門家単位」ではないんです。

この大きな「ネジレ」に、われわれは注目しなければなりません。

たとえばマーケティング分野で最有力な団体は、

・日本では「JMA」。これは企業単位の参加が原則。
・米国では「AMA」。これは個人単位の参加が原則。

だから

・年会費は、とても安いのです。しかも過去の雑誌記事が電子的に読み放題。JMA とは大違い。
「求人情報」が検索できます。つまり「市場」がそこにある。

(石黒さんがご指摘の、日本企業が心配する「人材の流出」は「原則として起き放題」です。これは当然ですね。各人が各人の職場を選ぶのは、各人の自由であり、かつ各人の責任ですから)

要するに「専門家の楽園」「企業間ナレッジ・マーケット」なんですね。かつ反面、中世のギルドみたいに、

・各人のスキルを向上・測定するための「認定制度」もあります。
・厳しい「職業倫理」規定も明示されています。

一般に強力な職業倫理は「個人」の「内なる声」に発するものであり、それは「各人」が職業を選択した時点で獲得されるものだから、専門家が「個人」として集まったAMA には、それがあるわけです。

現に、日本マーケティング協会のサイトには、倫理規定が載っていません。参加資格が「個人」単位でないからです。

自立した個人なくして、真の規律は存立し得ません。

要するに「自立した専門人」が構成する「規律ある専門家の市場」。この人間モデルと組織モデルが、米国では、社会の基盤にあるわけです。

今回の「デジタル・ニューディール」も、こうした基盤が社会にあれば、完全に成功するだろうにな! と思いますね。

こうした社会基盤は、政策立案者にとって、短期的には環境変数ですが、きっと長期的には政策変数、それもかなり重要な政策変数だと思います。

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さて「基盤」レベルでは、以上の通り、大きな挑戦課題がありますが、それ以下の「ピース」レベルは、よく出来ていますね。
登録は企業が会社の立場で登録する場合もありますが、個人によるボランタリーな登録をむしろ主に考えています。
そうです。これは上記の通り、正しい方向ですから、今後も、その調子でやってください。
当面は学会を足場に、
そうですね。これも正しい方向です。日本では、かろうじて学会が「個人参加」ができる、唯一の専門家団体のようですから。
中小企業には既に草の根的な異業種交流ネットワークがいくつかありますので、これらも順次参加をお願いし、その輪を広げて行きます。
これも正しいです。「既存のコミュニティを発見かつ活用する」というのは、企業内のナレッジ・マネジメントでも常道です。完璧。

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ということで総合的な結論になりますが、ピース・レベルでは満点ですから、あとは上記の「基盤」レベルの話、つまり、

【結論】企業間のナレッジ・マネジメントを進めるキーは、個人参加の専門家団体に、再度、フォーカスしてみてはどうかな?と思いました。

これは言うは易しく行うは難い、たいへん高レベルなチャレンジですが、いままで業界団体を Implementation Channel としてきた通産行政を、構造転換させるチャンスでもありますね。
某社の対応は私にとっていい戒めになりましたが、個人的には逆にファイトが湧いてきた次第です。
その気持ちを忘れずに、今後も、がんばってください。応援してくれる人は、各所にいるはずです。

まずは「専門家の楽園」というビジョンを立て、それを基準に、全ての政策 Implementation Channel を再編する、というのも、1つの方法ですね。むしろ、こっちが早道かも。
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From: 藤原 洋  2001/2/28 9:51
Subj:【235】 IT教育改革について ー いささか長文で失礼します
【要旨】国際的産学協同大学院大学の創設に賛同します。
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特に、カリキュラムと教授陣、学生の国際化は、日本が先進国としてリーダーシップを取るためには、必須のことと思います。目先の経済効果だけを追いかけても、キャッチアップ時代は終わったので、知的にハングリーな状況を作るしか今後の日本経済の発展は、ないものと思います。終身雇用が保証された、競争のない国立大学主導の学術研究体制の終焉でもあると思います。知的にハングリーな海外の優秀な人材を日本に呼び込み活躍の場を創ることが重要だと思います。
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From: 築地 達郎  2001/2/28 11:07
Subj:【236】政府の役割
【要旨】政治家によるビジョン提示が極めて重要
<ダイジェスト9>
◆ 政府の役割
高木氏は、明治時代に京都で地域住民が土地や資金を供出して、64校の小学校が作られたことなどを紹介し、「政府の役割は競争規制を作らない・保護しない。税金を減らし、その分を寄付できるよう納税者の選択権を増やす」ことだと述べた。
私も京都に住む者として、江戸末期・明治初期の京都人の心意気を常々逍遙と思い返しています。しかし今は昔。そういう気概があってかつ金持ちの現代京都人にはなかなかお目にかかれません(皆無ではないですけどね)。

さて、こうした変化の激しい時代には、原則論としては「税あるいは社会的支出」から「社会資本の形成」に至る経路が短ければ短いほど、社会的な時間コストを縮減できる可能性が高いと思われます。企業金融において銀行経由の間接金融よりも投資家による直接金融が重視されるようになってきたのも同じ理由です。

ですから、財政措置を通じてベクトルを作り出そうとする行政府の方法論では時代のニーズに的確に応えることが難しい。それよりはむしろ減税して個人の裁量で再配分を、ということになるわけです。

そこで問題になるのは、個人に選択肢・裁量権を増やしたとして、その資金の向け先をどう誘導するかということ。バラバラに運用していたのでは、一部金融会社を儲けさせるだけです。

何よりも「政治家によるビジョン提示」が大切だと思います。我々は政府には「行政府」「立法府」「司法府」があると小学校以来教わってますが、それを統合してビジョンを示す存在として、個人としての「政治家」が政府の中核に居るべきなのではないでしょうか。

今の時代の本質的な不幸は、政治家が政治屋になっていることではなく、財政支出の配分が仕事と思っていることです。「日本経済のために予算案を通さなくてはならない」と言う野中発言がこれを象徴してます。(ああ、脅しが上手な野中さんは京都2区選出です。彼が現代京都人の象徴・・・)
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From: 鶴谷 武親  2001/2/28 12:20
Subj:【237】政府の役割
【要旨】
1、政治家のビジョンは大切 → 政策も教育もビジョン実現の手段
2、予算配分の構造転換が必要 (公共投資と人材育成の逆転)
3、選挙得票構造の転換が必要 (投票率アップは当然)
4、民主主義教育・リテラシー教育も重要
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1、政治家のビジョンは大切 → 政策も教育もビジョン実現の手段

築地さんご指摘のとおり、政治(家)のビジョンは重要だと思います。原則論で恐縮ですが、教育にしても、各種政策にしても、基本的にはビジョン実現の「手段」であるはずです。第2次世界大戦のトラウマから、空恐ろしい響きはしますが、「目的」のない教育(訓練・研修)はありえないのが原則です。企業の研修にしても、「いい会社にしたい」「収益力を向上させたい」といった目的のもとに行なうわけで、公教育にしても、「どんな国(国民)にしたいか」というビジョンなくして教育システムを作ることは本来できないはずです。そういう意味では、現在の教育改革国民会議は、相変わらず対処療法としての教育改革であり、結局は「先に問題ありき」の発想です。こういう対処療法で危険なのは、これだけ変化が早く、社会環境も過去とは大きく異なってしまった中で目的・ビジョンのないまま対処療法をしようとすると、結局は過去の経験への郷愁が議論を支配し、戻せないはずのないものを「元に戻そう」とする圧力を生じさせることになります。

苦しんでいる子どもや親、教師が目の前にいる以上、すぐにできる対処療法にすぐに手をつけることには賛成です。しかし、同時に、地道に日本というコミュニティとしての人材ビジョンを打ち出し、その実現の為の手段としての教育作りをしなければ、社会環境の変化とともに次々に現れる問題に対処し続けることになるでしょう。

2、予算配分の構造転換が必要 (公共投資と人材育成の逆転)

高木さんのご指摘のように、民ベースの教育インフラ作りという選択肢も必要だと思うのですが、同時に、公教育の充実もやはり重要だと思います。なにしろ、数字で見ても、日本の公立小中学校で生徒一人当たりに割いている予算は約90万円なのに対し、アメリカでは300万円です。(そもそも、公立で、私立の授業料並みの90万円が使われていることに、多くのご父兄は驚かれます。)多少の差なら「教員のスキル」「愛」などと言っていられますが、ここまで差があると、提供される教育の質に違いが出ることに異論を唱える人はいないでしょう。さらに、日本の場合、財務省もイライラしているように、80万円の教育予算のうち、80%が人件費に充てられています。つまり、子ども一人当たり、年間たったの16万円で、施設の維持から教材までを手配しなければならないのです。原因は、明らかに日本の歳出構造のいびつさにあります。日本の国家歳出に占める教育予算の比率はいつの時代も大よそ10-13%程度。これに対し、アメリカの場合多い州では45%にものぼります。調度、教育予算と公共投資のバランスが逆転しているような数字です。日本では教育1割、公共投資4割で、アメリカでは教育4割、公共投資1割、といった状況です。地価社会の到来を見越してこの教育・公共投資比率を転換しなければならなかった80年代に、バブルに浮かれてそれを怠ってしまった。これが現在の日本の状況を招いているのだと思います。

3、選挙得票構造の転換が必要 (投票率アップは当然)

但し、それを政治家のせいにするのは多少ずれているでしょう。確かに、就労人口の約8%が土木建設業という先進国は日本ぐらいだとも言われますが、さらにひどいのは、地方の議員の支持母体を見ると8%を超える比率で(多いところでは30-40%)公共投資型産業議員が占めているのです。つまり、ただでさえ高い比率に加え、組織だった投票統制により、最終的な民意形成の場である民主主義の発言力を大きく手中に収めているのが公共投資産業なのです。つまり、批判を浴びる公共投資産業は、実はある面で正しく民主主義制度に則り、自分たちの主張を社会に、政治に反映しているのです。この結果、霞ヶ関で「IT化」のために予算をつけても、実行単位である地方自治体レベルに落とした瞬間に、議会の中で「なんで東京に本社のあるコンピューターメーカーにカネを落とすんだ」となり、○○建設に発注可能な形、つまり、共同溝建設や、IT会館建設の話に変えられてしまったりするわけです。

以前、民主党の代議士たちが、選挙民の投票意思決定理由を調べた際、残念ながら「教育」のプライオリティは低かった。つまり、教育は「票にならない」のです。もちろん、リーダたる政治家は、自分の理想に向けて選挙民を啓蒙するのも重要ですが、基本的には、この状態を招いているのは私たち国民だということなのでしょう。

4、民主主義教育・リテラシー教育も重要

そうなると、結局のところ、日本の教育の中で欠けている重要な視点に、「市民教育」があると思います。例えば、ドイツの教科書の冒頭には、こんなことが書いてありました。「私たちは、民主主義という社会運営形態をとっており、国民から選び出した政治家に国家の運営を任せています。ところが、第2次世界大戦を見てもわかるように、為政者は時として間違いを犯します。その為、国民は常に為政者の行いをチェックできるよう、知性的である必要があります。これが、あなたたちが勉強する理由です。」 欧米アジア諸国では、「自由は常に努力していないとすぐに失われるもの」という言い方をされます。残念ながら日本には、そのような考えが育っていない気がします。様々な社会の未熟さや問題も、突き詰めていくと、現代の日本人に、論理性と市民意識が欠如していることに起因するような気がします。詩の解釈から始める国語教育に、記号論としての言語教育を加え、議論できるルールと論理力を身につける。結局はそれが不足していると、日本の国語教育の目指す「わびさび」「心の解釈」さえ、難しいはずだと考えます。そして、このコミュニケーションの基本的能力を欠いているということが、子どもたちを度々不幸にしているのだと思います。
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From: 石黒 憲彦  2001/2/28 16:23
Subj:【238】知の共有ー経済産業省の「企業間KM」の試み
【要旨】デジタル・ニューディールは人と人の出逢いに重点
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【234】太田秀一
・日本では、業界団体が多いが、専門家団体が少ない
・米国では、業界団体も多いが、専門家団体は、もっと多い。
しかも日本では、その専門家団体ですら、参加資格が「企業単位」になっており「専門家単位」ではないんです。この大きな「ネジレ」に、われわれは注目しなければなりません。要するに「自立した専門人」が構成する「規律ある専門家の市場」。この人間モデルと組織モデルが、米国では、社会の基盤にあるわけです。今回の「デジタル・ニューディール」も、こうした基盤が社会にあれば、完全に成功するだろうにな! と思いますね。こうした社会基盤は、政策立案者にとって、短期的には環境変数ですが、きっと長期的には政策変数、それもかなり重要な政策変数だと思います。

【結論】企業間のナレッジ・マネジメントを進めるキーは、個人参加の専門家団体に、再度、フォーカスしてみてはどうかな?と思いました。

これは言うは易しく行うは難い、たいへん高レベルなチャレンジですが、いままで業界団体を Implementation Channel としてきた通産行政を、構造転換させるチャンスでもありますね。
全くご指摘のとおりと思います。
今回の狙いは知識そのものもさることながら、人と人の出逢いに重点を置くつもりです。というのは、いくら読んでわかるといってもそれで技術が移転するようであれば大した技術ではありません。実際には、何度かメールでやりとりし、実際に会って話を聞き、さらに現場を見て、はじめて技術が移転したり、

イノベーションが生まれます。そのとば口の知識、人材の「チラシ広告」、電話帳のようなものが知識ベースの狙いで、

むしろその先の様々なフォーラム活動に本質があると思っています。日本では個人を単位とし、個人と個人がつながるネットワーク、集団が少ないと感じます。常に会社の看板をしょった形でグループが形成されます。前職で新規産業課というところでベンチャー支援策を担当していましたが、独立できるかどうかは、ひとえに「夢と志」、そしていざとなったら本気で支援してくれる「仲間」がいるかどうかで、この仲間という人的相互扶助ネットワークがなかなかできないのが日本の課題だと感じました。政府が資金的支援策を用意したから、さあベンチャーやってみろ、リスクをとってみよとかけ声だけかけてもしょうがなく、そうしたネットワーク作りの出逢いの場を作ることからはじめてみようという試みです。

一見ささやかな試みにみえて文化にチャレンジするという意味では実は野心的すぎるかも知れません。知識ベースに自己増殖メカニズムが働き始めるかどうかが成功の鍵で、大失敗すれば、誰もみない知識のゴミの山という結果になる可能性もあると覚悟しています。また折りをみてご助言下さい。ありがとうございました。

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From: 坪田 知己  2001/2/28 23:12
Subj:【239】司会 〜 文化遺伝子をどう増殖するか
【要旨】文化遺伝子増殖プロジェクトをあちこちで仕掛けよう
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石黒さんの「思い」(発言【238】)に感動して、一参加者として書かせていただきます。

石黒さんの計画は、確かに日本で推進するには難しい面が多々あります。しかし、そこで怯んでいては、何もできないのです。

人間は、結婚して子供を産んで、その子供がまた孫を生んでーーと遺伝子を後世に伝えます。それだけなら、すべての生物と何も変わりません。何が違うかというと、言葉を持ち、絵を書き、音楽を作るなど、多彩なコミュニケーション手段を身につけたことで、文化を伝えていけるのです。つまり、自らが文明人であると自覚し、自分の属する家族やコミュニティ(大きくは国や世界)を良くする最大の貢献は文化遺伝子の増殖と伝達です。

別の言い方をすれば、アイデアを練り、創造し、それを皆に広めていくということです。時代の人たちに対し、そういう義務を負って仕事をしているのだと、私は自己定義しています。

インターネットという「場」がなぜ発展してきたかというと、文化遺伝子の増殖、伝達にジャストフィットしたこと、そして増殖・伝達を盛大にやることの面白さを知った人が、技術や運営について様々な貢献をしてきたからです。村井純さんのいう「オープンソース主義」です。

我々は、語り掛けることによって、その内容を検証し、異論を得ることで、内容を高めていけます。アイデアを黙して語らない人は、その人の能力以上にそのアイデアを高めることはできないのです。オープンソース的な人達は少なからずいます。(このネット会議に参加している人達はそういうメンタリティの人達だと思います)

活力を維持するには、「テーマを絶えず作っていくこと」が必要だと思います。「技術交流をしましょう」ではなくて、「こういうことをしたいのだが、技術はあるか」という誘導の仕方が大事だと思います。
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From: 江藤 学  2001/3/1 3:27
Subj:【240】文化遺伝子をどう増殖するか
パリのOECD(経済協力開発機構)代表部におります江藤です。私は現在、OECDでの電子商取引等の委員会議論をサポートしており、また前職ではコンテンツ産業の振興に関わっていたので、その観点からの書き込みをしたいと思っていたのですが、皆様の大量の議論を読むのだけで満足して、ついROMになっていました。しかし、石黒さんの提案に対する坪田さんの発言に、技術系の人間として感動してしまったので、すこし発言させていただきます。 

【要旨】「伝え議論することで価値が上がる」というマインドを、如何に技術屋に浸透させるかがポイント。
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私が坪田さんの発言で感動したのは、「我々は、語り掛けることによって、その内容を検証し、異論を得ることで、内容を高めていけます。アイデアを黙して語らない人は、その人の能力以上にそのアイデアを高めることはできないのです。」の一文です。私は、この精神が私達日本の技術屋には欠けているのではないかと思うのです。

勿論、坪田さんはジャーナリズムの中で活躍されている方ですから、そういった意欲が強いのは当然だと思います。以前米国でコーネル大学のジャーナリズム専攻の院生と議論したときに、私が、「世界が滅亡するときに最後まで生き残って、世界がどうなったか見てから死にたいから技術系を選んだ」と言ったら、「そんなの絶対に嫌だ。折角知った情報を誰にも伝えられないのでは知った価値が無い」と反論されたのです。その時ほど「ジャーナリズム」を持つ方々と我々との違いを強く感じたことはありません。

ただ、石黒さんの提案されるような「知識のダム」がうまく回っていくためには、技術系の人間が持ちやすい「自分が分かっていれば満足」という意識をいかに取り払って、坪田さんの言われる「伝え議論することで価値が上がる」という感覚を広めることができるかにかかっているという気がします。(勿論、これは、「知識のダム」の参加者が、太田さんの言われたように、企業ではなく専門家中心になるとした上でのことです。参加者が企業・組織では、折角の「知識のダム」の成功はおぼつかないと私も思います。)

インターネットの普及した現在、企業や組織の中の個人が、自分のアイデアを外に出せるチャンスが広がっているのは、誰しも感じていると思います。この環境の下で坪田さんのようなジャーナリストの「文化」を技術屋社会に広げるにはどうすれば良いのか。成功例を見せるというのは勿論ですが、もっと根本的な解決策を見つける必要がありますよね。
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From: 江藤 学  2001/3/1 3:33
Subj:【241】知の共有ー経済産業省の「企業間KM」の試み
【要旨】当面の間takeを期待せずに新鮮なgiveをし続けることのできる個人がいれば自己増殖が期待できる。
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このMLに参加されている多くの方がされているように、私も昨年まで個人でHPを開設していました。実は、「どうすればHPの訪問者を増やせるのか」という研究テーマのために開設したページで、仕事とは全く関係ない私の趣味である「釣り」のページでした。
なぜ今回、この話題を出したかと言うと、この「釣りのHP」という世界は、「技術交流のためのページ」の縮小版とも言える難しさを持っていると思うからです。つまり、「情報が詳しすぎると多くを失い、情報が具体的でないと何も得られない」のです。

HPの読者は正直ですから、釣果と釣り場について詳しい情報を出すと、その釣り場が大混雑して、あっという間に魚が釣れなくなってしまいます。しかし、釣果だけを書いて場所の情報を隠すと、その情報に興味を持ってもらえないだけでなく、逆に嫌われて情報が集まらず、結局情報を自分で持ち出すだけのサイトになるのです。自己満足のサイトならそれでよいのでしょうが、それでは長続きしません。個人で運営されている釣りサイトの多くが、このジレンマに悩んでいます。

私も最初の頃、大漁情報を出して、次の週にその釣り場を大混雑させてしまった経験から、その後のサイトの運営方針に悩みました。釣り場の公開をやめることも考えたのですが、結局、「情報はできる限り公開する。但し、同じ場所に続けて行かない。釣り方も変化させる。」という方針を立てました。
その結果、徐々に読者も増え、これらの読者の方々から頂いた釣り場の情報を私のHP上で公開できるようになったことで、一つの場所に人が集まるのを防げるようにな

りました。私自身も、これまで知らなかった様々な情報が集まることで、常に新鮮な情報を参考にして次の釣り場を選ぶことができるため、毎週のように釣りに行く意欲が湧くという好循環を得ました。
結果的に、毎週多くの(と言っても週に3〜4千人程度ですが)読者の方が見に来て下さるようになり、私自身が提供する情報は、私のHPで提供される情報全体のごく一部となって、釣りに関する「知識ベース」が自己増殖的に増加する結果になりました。

企業や組織がお金をかけて作るPRのためのHPと、自己増殖を期待するHPとは運営方法が違ってくるはずです。
Give が無ければtakeは無い。Takeが無ければ回らない。回らなければ増殖しない。これが無料で運営されるHPの基本ですよね。

ボランタリーな活動は一旦回り始めると、それまでtakeだけだった人がgiveに変身し、その結果として、情報量がどんどん自己増殖するのが魅力です。このGive&Takeが個人のパワーであることは当然ですが、当面の間Takeを求めずにGiveをし続ける意欲のある人がいることが、Takeの人をGiveに変身させ、情報の自己増殖を起こす上で必須ではないかと思います。このような方の参加が得られるかどうかが、知識のダムの成否を決めるのではないでしょうか。

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From: 太田 秀一  2001/3/1 10:04
Subj:【242】文化遺伝子をどう増殖するか
 【要旨】問題解決志向型のコミュニティでは、ファシリテータの感情マネジメント能力が大事。ただし人の感情は多様である。
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【239】坪田知己
【要旨】文化遺伝子増殖プロジェクトをあちこちで仕掛けよう
人間は、結婚して子供を産んで、その子供がまた孫を生んでーーと遺伝子を後世に伝えます。それだけなら、すべての生物と何も変わりません。何が違うかというと、言葉を持ち、絵を書き、音楽を作るなど、多彩なコミュニケーション手段を身につけたことで、文化を伝えていけるのです。つまり、自らが文明人であると自覚し、自分の属する家族やコミュニティ(大きくは国や世界)を良くする最大の貢献は文化遺伝子の増殖と伝達です。別の言い方をすれば、アイデアを練り、創造し、それを皆に広めていくということです。時代の人たちに対し、そういう義務を負って仕事をしているのだと、私は自己定義しています。
なるほど。前便(発言【234】)で私は、「自立した専門人」とか「彼らが構成する、規律と夢のある専門家集団」が大切ですよと申しましたが、それは、
・石黒さんの「デジタル・ニューディールを成功させるため」でもあるが、同時に。。。
・実は、坪田さんの言われる「文化遺伝子を増やすため」でもあるし、
・もしかすると「文化遺伝子を増やしたがる人を増やすため」でもあるのかもしれませんね。
「技術交流をしましょう」ではなくて、「こういうことをしたいのだが、技術はあるか」という誘導の仕方が大事だと思います。
同感です。私流に勝手に言い換えますと、
・「問題解決のためのコミュニティ」は「交流のためのコミュニティ」とは異なるし、
・問題解決を促すには「問題を定義すること」が大事
我々は、語り掛けることによって、その内容を検証し、異論を得ることで、内容を高めていけます。アイデアを黙して語らない人は、その人の能力以上にそのアイデアを高めることはできないのです。
おっしゃる通りですね。ディスカッションが盛んになれば、
・良いナレッジを持っている人 Problem Solver は、その応用レパートリーを増やすことができ、
・問題を持っている人 Problem Holder は、
・良い解決策を発見できるます。ま、通常は、ここで「終了」なんですけど。。。
・場合によっては、自分の問題を、解決策から逆照して、よりよく再定義することができます(★)。

私が思いますに、実は、コレがとても大切で、この問題の再定義を通じて、ある種の連鎖反応が起きる。
・本人は、単なる Problem Holder (困ってる人)から、栄えある Problem Definer に成長できるでしょうし、
・同時に、問題を新たな観点から再定義すれば、新たな関連問題が見つかるわけですから、そのまた解決策を見つけたい、と思うようになり、それがさらに新たな「出会い」を生む。

ということで重要なのは、
・「他人の問題を解決したい」という感情(利他心)
・「自分のナレッジの応用範囲を拡大したい」という感情(探求心)
・「自分の問題を解決したい」という感情(達成意欲)
・「自分の問題を、もっと正しく再定義したい」という感情(探求心、★)

を巧みに刺激することであり、
・「自分のナレッジの応用範囲は、自分が一番分かってる」という傲慢な感情
・「自分のナレッジの応用範囲は、所詮、ココまでなんです」という謙遜の感情
・「自分の問題は、自分が一番わかってる」という傲慢な感情
・「自分の解決すべき問題は、せいぜい、コレだけで良いんです」という謙遜の感情
・「そもそも自分の世界には、問題なるものは存在しないのである」という傲慢または怯懦な感情
・「自分が問題を抱えていることが他人に知られたら、とんでもないことになる」という恐怖または虚栄の感情

の存在を、敏感に発見し、かつそれを責めずに、それらの感情の無意味さを、巧みに気がつかせること、でしょうね。

ということで結論を再掲しますと。。

【要旨】問題解決志向型のコミュニティでは、ファシリテータの感情マネジメント能力が大事。ただし人の感情は多様である。
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From: 坪田 知己  2001/3/1 11:17
Subj:【243】司会 〜 放送の未来について、ご意見募集!
【お願い】放送の未来について、どうお考えですか?
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今回のネット会議で、安田先生から以下の宿題をいただいています。デジタル放送に関して、さらにデジタル放送とインターネットに関して、このネット会議の皆さんはどう思われますか。どうも放送に関心が薄い方が多いようにも思いますが、大きな帯域をとる公共的な情報伝達システムであり、ストリーミングとの関係はどうなるのかーーなどの問題もあり、ご意見を伺えればと思います。
【2】安田浩
FTTHとディジタル地上波放送についてその功罪と実現への期待について提言を頂きたいと思います。映像コンテンツは日本を救えるのか、そのための環境つくりへの技術施策は何かそして存在しているのか、論議を通して明らかにしてゆきたいと思います。
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From: 太田 秀一  2001/3/1 12:51
Subj:【244】伝達意欲、伝達技法
【240】江藤学氏
【要旨】「伝え議論することで価値が上がる」というマインドを、如何に技術屋に浸透させるかがポイント。

私が坪田さんの発言で感動したのは、「我々は、語り掛けることによって、その内容を検証し、異論を得ることで、内容を高めていけます。アイデアを黙して語らない人は、その人の能力以上にそのアイデアを高めることはできないのです。」の一文です。私は、この精神が私達日本の技術屋には欠けているのではないかと思うのです。
いいですね。この江藤さんのご指摘。とても重要と思います。その伝達「意欲」に、伝達「技法」が加わったら良いでしょうね。

【要旨】「伝え議論することで価値が上がる」という伝達意欲を、しかるべき伝達技術(エディターシップ)で補おう
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98年に、自分のニューズレターの一角で、少し触れたのですが、
『ECスクエア通信』No.21D
ナレッジ交流を進めるには、Knoeledge Holder や Problem Holderだけではなく、各所のナレッジを発掘・選択・編集・配信する、Knowledge Editor が必要なんだそうです。

また、その「ナレッジ・エディター」を育てるのに効くのは、

・ジャーナリスト学校(学科)
・テクニカル・ライター、技術教育のテキスト執筆者&教師、
・システム分析や業務分析の専門家

なんだそうです。彼らは、「論理性・実証性」プラス「分かりやすい文章化・図式化」「ウケやすい論点構成」が得意ですからね。

そんな彼らの技法を、どんどん活用できたら良いだろうな、と思います。

私も「KM&CRM1日コース」というのをやっていますが、それに「ウケる文章技法実習コース」を併設したいな!と前から思っています。
インターネットの普及した現在、企業や組織の中の個人が、自分のアイデアを外に出せるチャンスが広がっているのは、誰しも感じていると思います。この環境の下で坪田さんのようなジャーナリストの「文化」を技術屋社会に広げるにはどうすれば良いのか。成功例を見せるというのは勿論ですが、もっと根本的な解決策を見つける必要がありますよね。
ここで江藤さんが言っておられる「文化」の中身は、「価値観・意欲」と「技法」に分けられると思います。

そのうち大事なのは前者と思いますが、それは少し前便(発言【242】)で述べましたので、ここでは後者について触れますと、お求め

の「根本的」というか、やや暴力的な解決策として、たとえば、次のような案は、いかがでしょうか?

・上記の『理科系の作文技術』を思い切り平易にして、
・それを小学校の国語の授業で「正規の教科書」とし、
・上記のジャーナリスト学校や、米国で人気のコミュニティ・カレッジのテクニカル・ライティング・コースのカリキュラムを思い切り平易にして、
・それを小学校の国語教育の「正規のカリキュラム」とし、
・ついでに国語の先生は、理系またはジャーナリスト学科卒業者の場合、お給料を3倍にする、
・ただし文系卒の普通の国語の先生にも、ジャーナリスト学校に通うのを奨励する

こうして子供時代から文章化・図式化の習慣・能力をつけ、発表の機会を与えれば、そこから多数のナレッジ・エディターが育ち、その半数が後年、大学その他で各人の専門分野を修めれば、ますます強力ではないでしょうか?

日本の産業界のナレッジ交流を進めるには、IT 教育もさることながら、小学校の国語教育という「根本」にまで溯り、そこから「やり直す」ことが、最も効果的なのではないでしょうか?

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From: 古川 泰弘  2001/3/1 13:09
Subj:【245】放送の未来について
放送への積極的な参加が、ネットへのリンクも増加させ放送は質を向上させる
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放送受信機にアダプタを接続することで視聴者参加型番組が作られてきましたが、普及には今ひとつのような印象を持っています。しかし今後は番組とネットとのリンクが活発になり、番組からアーカイブ(ストリーム)への接続、その逆も起きるようになっていくのではないでしょうか。隣のチャンネルに切り替える以上にネットへの切り替えについても、番組作成側は気を配るようになって、番組の質は向上すると思います。

最近の国会の出来事も、アーカイブにリンクできれば、質疑の内容を過去の代表質問に飛んで、内容を確認し、改めて現在の審議の内容を考えることができるようになると思います。
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From: 石黒 憲彦  2001/3/1 14:28
Subj:【246】文化遺伝子をどう増殖するか
繰り返しになりますが、企業の反応は大きく分けて2種類です。村井教授の「オープンリソース主義」、國領教授の「オープンアーキテクチャ戦略」的な考え方で警戒心は持ちつつも外部知識の取り込み、外部ネットワークをうまく使えないかと意識している企業と人材は会社の資産であり、知識は役に立つなら会社に閉じるべきと考える企業があります。

主として個人に働きかけるつもりですが、企業側もオーソライズして社内ルールを整備してくれないと、個人として研究者、技術者が参加しにくいのではないかと思い、マネジメントサイドの方にこの構想を説明して回っています。この話を持ち込むと同じ会社でも相手の方の個人としてのパーソナリティによって随分反応が違い、それだけ意識のギャップがあるテーマであることを感じ、なおさら文化にチャレンジしていることに気づく次第です。とにかく頑張ってみます。

なお、まだ場所が決まっておらず生煮えですが、4月5日広報の一環として日本工学アカデミー主催でシンポジウムをやる話があります。
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From: 福富 忠和  2001/3/1 15:38
Subj:【247】放送の未来について
福冨です。ちょうど今、ネットTVの制作に関わっていますので、コメントいたします。

インターネットラジオについては、音質などもかなり改善されて、従来のAMと比べても遜色のないレベルになっています。ざっと調べても、世界中に数千ほどのネットラジオ局があり、私の場合は、同じPCでラジオを聞きながら仕事をする状態になっています。

日本の局がほとんど無いのは、業界、JASRACのあたりのコンセンサスがはっきりしないためでしょうか。ともあれ、ラジオ局にとって、ネットラジオはそうとうの脅威ではないかと思うのですが、どうも危機感がないように思えます。

インターネットTVは、1Mbpsくらいのスループットで、従来のテレビと同じ位の質感になってきます。ISDNの64KbpsやADSLの500Kbpsくらいだと、従来のテレビのように、何時間も続けて視聴する感じのものにはならないと思えます。

現状でのネット放送については、以下の問題を感じています。
・ネット放送のビジネスモデルが、まだ見えてこないもの珍しさ半分の現状はまだいいのですが、長期的に広告収益のモデルが成立するかどうか見えない。
内容の細かなセグメントを背景に、有料化するなども考えられるか。
ex. ネットTVなどだと、現状ではむしろ高画質のソースが必要なので制作予算が高めになる傾向。

・受信条件の違いを超えた、制作のメソッドが確立していない。特にTVの場合、画面サイズによって、アングル、カット割まで変える必要がある。

Webマガジンのコラムに関連したものを書きました。ご参考までに。
チェサピーク湾から流れるブルーグラスに耳を傾けること(MYCOM PC WEB)
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From: 坪田 知己  2001/3/1 16:09
Subj:【248】司会 〜 逆転の発想・クリエーターとリスナーを共通利害者にするアイデア
【230】本荘修二
リスナーの意志によるなら熱烈なファンが参加しているファンクラブの延長上にしかならないでしょう。
本荘さんの上記の記述ですが、私の意識は「ファンクラブの延長」です。熱烈なファンは1億円のファンドを購入するでしょう。「一曲だけ聞きたい」という小学生は50円のファンドを買うでしょうーーーというイメージです。自分の可処分所得と、どの程度好きか(=コミットしたいか)によって、ファンドの購入額を調整すればいいと思います。
すると、どこからどのように金を集める、ということですが、・利用者への直接課金
・事業者から徴収
の二つがありますが、利用者への直接課金はクッションをおかないと難しいでしょう。
「事業者からの徴収」は「間接課金」だと言えるでしょう。でも「直接課金」が成立していないのに「間接課金」ができるというのは、スジが通らないと思います。

やはり直接課金の道は追及すべきで、「PC=POSレジ」構想は、世界のハードメーカー、OS提供者、もしくはストレージメーカーがどうしてもやらなければならないテーマだと思います。

加藤さんの「鑑賞権」はその通りで、森亮一先生が提唱した「超流通」はその考え方です。

松本さんの、音楽の演奏におけるコミットメントは、現実性がないと思います。私は「消費」「鑑賞」が「創作」「演奏」の対置概念なので、そこをブリッジするーーつまり作る人は使う人に感謝し、使う人は作る人に感謝するーーということを考えていて、演奏にコミットする事は考えた事がありません。ちょっと無理でしょう。

松本さんの「コミット型」は、逆にテキストの方が可能性があると思います。他人の文章に評価を加えたり、異論を加えたりする「インタラクティブ・ドキュメント」は成立すると思います。まず、参加権を1万円で買って、発言がモデレーターよる評価が「◎」だったら3000円、「○は2000円」「△は500円」、バックしてもらう。いい発言を連発すると、収入になり、発言しないと1万円が戻ってこないーーというのは、一度実験してみたいモデルです。

私のような下手なモデレーターは、評価で、参加者を怒らせて、どんどん辞められ、しかも「お金を返せ」と言われそうで、ちょっと怖いところもあります。

私の考えは、かつて社会学の教科書で「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」とか「コミュニティとアソシエーション」と呼ばれたように、血縁や地縁をベースにした共同体が、利益をキーにした組織に変わってきたと説明されていますが、ネットの時代は、もう一度「コミュニティ」の復活があるのだと思っています。ただし、血縁や地縁でなく、「ビジョン」とか「信念」とかをキーにした共同体です。

そういう方向性を、創作と鑑賞という場面に当てはめたのが「ブリッジ・ファンド」構想です。

ファンドの発行なども、インターネットと電子認証のシステムを使えば簡単でしょうし、そういう制度をサポートすることを行政の各位に考えていただけたら……と思っています。

ネット上で「地域通貨」が成立するという話を聞いたことがありますが、「支払い」という行為に「投資」という意味を持たせると、「消費」が、創作、製造へのコミットーーという形になるわけですから、そこに次世代の経済社会の可能性の窓を開いてみたいと考えています。

寄付の事を「喜捨」といいますが、それが、もしかして何倍かになって返って来るというのは楽しいではありませんか。もし返ってこなくても「喜捨」したんだから、恨まないってことです。
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From: 藤原 洋  2001/3/1 16:30
Subj:【249】放送の未来について
【要旨】放送の未来
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ブロードバンドの登場で放送業界は、大きな影響を受けると思います。しかし、放送というマスメディアの役割は、継続するでしょう。マスの視聴者に対する同時性・即時性においてです。一方ブロードバンド・インターネットは、放送品質に近いオーディオ・ビジュアルコンテンツが、流通する環境になると思いますが、On Demand的で、極めて利用者個別のコンテンツ流通が主体で、今日のマスメディア広告とは違うビジネスモデルだと思います。

ブロードバンド・インターネット・ユーザーの動向は、インターネットの利用者中の普及率が30%を超えた韓国の例からも、ゲームや課金型VoDが主体で、若年層が、ドライビングフォースとなると思います。結果的に、放送とブロードバンド・インターネットとの市場規模は、加入者電話が携帯電話に移る過程と類似した過程を通ると思います。
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From: 水野 隆一  2001/3/1 17:21
Subj:【250】放送の未来について
【要旨】藤原先生にほぼ同感です。
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藤原さんの議論に加えると、マスメディア放送は『垂れ流し』という特性を持ちます。これに対してネット放送はon demandです。すべての視聴者がすべての場面でon demandを要求するわけではないでしょうから、マスメディアに対するニーズは消えないでしょう。

ネット放送が垂れ流しに対応するには、無駄が多すぎますので、あまり望ましいことではないと考えます。

しかし、従来はマスメディアが独占してきた世界に、新たな供給者が登場するのですから、マスメディアの相対的なポジションは低くならざるを得ないと思います。だからといって、厳然と存在する既存メディアに対するニーズを無視して、ネット放送的モデルに擦り寄ると、逆に新たな勢力につぶされてしまうような気がします。
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From: 山村 幸広  2001/3/1 17:40
Subj:【251】放送の未来について
インターネットのコンテンツプロバイダーがブロードバンド時代にどう生き残っていくかというのは非常に大きな課題です。インタラクティブ、オンデマンドというインターネットだけが受けていた恩恵はもうエクスクルーシブではありません。放送品質に近いクオリティというのは我々では画期的なことであってもユーザーには当たり前のことです。ただ映像コンテンツを流すだけでは、TV局を中心とした他のインタラクティブメディアには勝てないと思います。彼らはその分野のノウハウ、リソースは計り知れません。インターネットコンテンツプロバイダーだけができるブロードバンドコンテンツの検討、見せ方、特長を生かした提供方法を生み出せなければ、我々の将来は非常に不安です。機会の広がりは競合の広がりを意味しています。
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From: 吉岡 誠   2001/3/1 18:08
Subj:【252】 文化遺伝子をどう増殖するか
富士通の吉岡です。

エンジニアの発言が無いので本件に関して企業人の立場でのジレンマを申し上げます。

【要旨】オリジナリティのあるものは特許化しておかなければ,企業人は,公(Open)に発言できない,このことが,情報を共有しながら協創していく時に何時も足枷になっている。
-協創のための究極の道具は未だないし,情報セキュリティ技術も脆弱
-オープンなものが,常にロックイン型のものを駆逐する。但し,オープンなもののビジネスモデルが企業人には未だよく見えていない。このことが,本格的な取り組みを阻んでいる。

小職はSGML/XMLの実用化でほぽ10年,超流通の実現についても15年以上かかわっています。

今回のReflectorによる,コンセンサス作りを見ていても,XMLの技術を使って,徹底的に合理化したいと思うわけですが,特許化要素がありそうなので,発言が阻まれます。但し,今回,XMLの技術を利用した究極のコンセンサス作りシステムを構築すべきだという,以前からの考えを実行しようという意欲をもりたてました。

光ディスクの標準論理形式であるISO13346,UDF(Universal Disk Format)の標準化にもかかわり,現在これに著作権保護,原本保証,アクセス制御を入れるためのSecureUDFも策定していますが,協創によるコンセンサス作りにも,発言のオリジナリティ保証,関係者外秘等を実現しようとすると,SecureUDFに実装しようとしているような機能がいると思われます。(過去に,ある人に送ったメールが,絶対に読んで欲しくない人に転送されひどい目に

あったことがある,このフォラムでの発言もセキュリティ制御は不可能である)。現代のネットワーク環境での情報セキュリティはほとんど無いに等しいし,コンセンサス作りのための究極の道具も無いというのが実体だと思っています。

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From: 福富 忠和   2001/3/1 19:04
Subj:【253】放送の未来について
【要旨】放送//VoD、マスメディア/ネット型の区別。
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気になるのは、インフラやそのジャーナリズム機能以外のところで、すでに放送とそうでないもの、あるいはマスメディアとそうでないものの特性上の区別がさほどはっきりしていない、ということです。

例1
米国のネットラジオなどは、ジャンル別の専門チャンネルを設ける方向ですが、音楽の場合、曲単位の配信は著作権法上の問題から当然できません。放送と楽曲配信はかなり近づいていますが、ネット放送は、あくまで放送であり、やはりプログラムを「垂れ流す」形になります。

例2
規模の面でも、CS放送などの視聴者数は、ある種のWebの閲覧者数に抜かれています。こういうことは、今後も続くでしょう。電波帯域の有限性から公共性を問われる放送は、それが逆にビジネス上の足かせになる可能性が高くなります。

こういった事柄を考えていくと、いいか悪いか、実際に可能か否かは別として、放送

とネットの逆転したビジネスモデルも考えられます。

つまり、
・ターゲットがはっきりしている(場合によっては、ユーザー特性まで詳細にわかっている)ネットのストリーミングは、広告主側で効果が見えやすく、むしろ広告収益が考えやすい。ネット放送のような形で、継続的に視聴者を確保する場合は、なおさら。

・大きな産業規模によってはじめて維持されている旧来の民放メディアの、ジャーナリズムやマス告知の機能は、今後は徐々に弱まる可能性がある(ジャーナリズムの機能で言えば、記者クラブへの常駐、裏ドリ取材、ファクトチェックなど)。その中で、旧来の水準を維持するために、広告収益モデルではないような、別の収益モデルが必要となるかもしれない。

こういうモデルの中で、BSデジタルなどの、可能性が見えてくるような気がします。

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