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C. ネット社会部会

   「ネチズンの登場と新しい 民主主義社会―ネットワーク社会問題解決への世界協調」


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1998年2月2日〜2月4日


From: 杉井 鏡生
Subject: [00048] Re:ネットワーク社会の未来


杉井です。
公文さん、リチャード・ストールマンのSF小説のご紹介をありがとうございます。
[ネットワーク社会の未来]
国家が情報をすべて制御してしまう世界というのも恐ろしいものですが、一部の企業連合が情報をすべて制御してしまう世界というのも恐ろしいシナリオですね。
それほどまでに企業連合がひと握りに絞られ、しかも強制力をもってくるのだとしたら、そこまで行く前に、既存の政治過程を通じるのか、もっと革命的な手法なのか、それとも漸次協調的な形で新しい枠組みが取り入れられるのかは予測できませんが、なんらかの対抗活動がとられそうにも思えます(楽観的過ぎるかな)。
ただし、起きるとすれば、可能性としては、国家によるものより、後者の企業連合画型(特定の企業ということでなく)の実質的な制御が高まる可能性のほうが大きいようにも思います。しかもそれはストールマンが描く法的な規制で象徴されるような直接的な強制力によるというよりは、実質的にネットワークへの参加権を失ってしまうとか、生活的な利益を得ずららくなるというような目に見えない国家を越えた「強制力」によって実現されてしまうような気もします。
やや漠然とした感想ですが、こんなことを感じました。
[ネットワーク社会の新たな権利概念]
それから、「情報権」の話をいただきましたが、ネットワーク社会において、情報に関する新たな権利概念の枠組みが必要なのかどうか、という話も興味があります。これは、「ネットワーク社会における人権とは」という当初掲げたテーマと併せてできないかと考えていますが、どうでしょうか。
この場合、山崎さんがいわれたような「ネットワーク上」と「現実社会」との人権がどう違うかということよりも(違うべきという意見もあっても構いませんが)、むしろ、ネットワーク社会という新しい社会変化のなかで、人権の枠組みに新たな変更が求められるのかどうかを議論したいと思っています。

From: 高木 寛
Subject: [00049] Re:ネットワーク社会の未来


ネットワーク社会の未来を考えるとき、会津さんが訳したハワード・ラインゴールドが「バーチャルコミュニティー」(三田出版刊)に書いていることを思い浮かべてしました。ラインゴールドはネットワークが電子民主主義という理想的な理念と円形刑務所のどちらに向かっていくかは、私たちが今どのように行動するかにかかっていると云ってます。公文先生が紹介してくださったSF小説のような世界は、その管理者が国家か企業連合かの違いはあるものの円形刑務所型です。
ここで、私は杉井さんと違ってあまり楽観していません。企業連合型の場合の調整原理は、自由競争だと思うのですが、これは、利益の上がる方向に流れるだけです。また、国家はすでに盗聴法という形で円形刑務所作りを始めていると思うのです。現代の犯罪の傾向から考えて盗聴の必要性自体は認めますが、現在の案を見ていると賛成できないのです。これに対して、市民の持っているのは、ほんのわずかなことで傷ついてしまう表現の自由しかありません。
ネットワークの未来を自然の流れに任せているのでは、良い社会という方向にベクトルは向かないのではないかと思います。どうすべきかの知恵を効率的に集めていくことが必要なんじゃないでしょうか。この電子会議もそのひとつだと思っています。

From: 杉井 鏡生
Subject: [00050] Re:ネットワーク社会の未来


杉井です。
[ネットワーク社会の未来]
高木さん、ご意見をありがとうございました。
高木さんは、リチャード・ストールマンさんのいわれた企業連合によるものばかりでなく、国家も円形刑務所モデルの未来を用意し始めており、成行きに任せては暗い未来も予測されるという説ですね。
他の方はいかがでしょうか。暗い未来が2票獲得です(当選確実?)。明るい未来派はいらっしゃいませんか(別にストールマンさんや高木さんが暗い未来派というわけではないですが)。または、それに対抗する動きが既にあるというご紹介や、暗い未来を招かないための、高木さんのいわれた”智恵”を提案いただける方はいらっしゃいませんでしょうか。
[部分という表現について]
公文さん、私が「ネットワーク社会では、標準化や共通化、または分散化を求めても均質化が進む部分があるのではないかと思います」と書いたことについて、「これは「部分」によって違うという問題ではないのではないでしょうか」というアドバイスをありがとうございました。
私自身が問題をまとめ切れていなかったもので、少し混乱しているかも知れません。私が考えた「部分」と意味は、ネットワーク社会のなかに、独立的に分離している部分があるというイメージではなかったのです。
公文さんのいわれた国際社会と世界市場のモデルで考えると、国家のような地域的な社会凝集の「部分」は分散的であり、相互間の市場取引の「部分」はルールの共通化が図られるというイメージで、「部分」という言葉を使っていました(やはりおかしいでしょうか)。
その意味では、分散型のシステムでは両者の要素を必ず含むわけですから、分散化や標準化の「程度」といったほうがいいのでしょうか。いま適切な言葉が浮かびません。もう少し考えてみます。

From: 公文 俊平
Subject: [00051] Re:ネットワーク社会の未来


From: 杉井 鏡生
Subject: [00050] Re:ネットワーク社会の未来

公文さんのいわれた国際社会と世界市場のモデルで考えると、国家のような地域的な社会凝集の「部分」は分散的であり、相互間の市場取引の「部分」はルールの共通化が図られるというイメージで、「部分」という言葉を使っていました(やはりおかしいでしょうか)。
私のイメージでは、国際社会(その主な要素は国家です)も、世界市場(その主な要素は企業です)も、それを集権的に統治する政府をもっていないという意味で「分散的」なのだが、その個々の要素は、基本的に、何らかの共通の標準ないしルールに従って行動することで、システムとしての一体性が保たれています。
とまあそんなことが言いたかったのですが。

From: 福冨 忠和
Subject: [00052] Re:ネットワーク社会の未来


From: 杉井 鏡生
Subject: [00050] Re:ネットワーク社会の未来

公文さんのいわれた国際社会と世界市場のモデルで考えると、国家のような地域的な社会凝集の「部分」は分散的であり、相互間の市場取引の「部分」はルールの共通化が図られるというイメージで、「部分」という言葉を使っていました(やはりおかしいでしょうか)。
From: 公文 俊平
Subject: [00051] Re:ネットワーク社会の未来

私のイメージでは、国際社会(その主な要素は国家です)も、世界市場(その主>な要素は企業です)も、それを集権的に統治する政府をもっていないという意味>で「分散的」なのだが、その個々の要素は、基本的に、何らかの共通の標準ない>しルールに従って行動することで、システムとしての一体性が保たれています。
これは「差違と同一性」みたいな枠でくくっちゃまずいでしょうか。
たとえばユーゴスラビア時代には、国レベルでの集権統治機能が強固で同一性が施行されていたのに対して、今度はヨーロッパという別の同一性の枠組みに持ち込まれたときに、他のネーションステイツとの関係でより微分的な民族問題が出てきた例、というように。
でも要するに、これは情報レベルの問題で、どの同一性がどの差違と関わるか、というリンケージ関係は、それ自体がポリティカルに決まるような気がします。たしかラインゴールドの「バーチャルコミュニティ」がベースにしたベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」は、そんなことを言っている本でした。ネーションの概念が、実は植民地時代の支配区分と、そこで使われる言語という比較的変化の緩い同一性要素によって生まれてきたに過ぎないと言うような(正確じゃないかもしれませんが)。
インターネットも同じようなところがあります。TCP/IPの一元化が進行することで、非常に急速に拡大し、それによって、そのもっと上のレイヤーでは多様性が広がり、差違化が進行したわけですが、結果として、TCP/IPと併存していたUUCPやFIDOなどが作ってきたカルチャーは、脇へ追いやられてしまっています。
しかし、もしTCP/IPがマイクロソフトのパテントなどに大きく関わるならば、ここまで急速な進展はなかったでしょう。このおおもとのところのポリティクスが変化や進展に大きく影響しているように思います。

From: 福冨 忠和
Subject: [00053] Re:ネットワーク社会の未来


福冨です。
先のものと観点が違うので、ポスト変えます。
同一性と差違、分散と統合みたいなテーマライズ以外に、恒久性と暫定性みたいな軸もあると思います。
米国のサイバーカルチャー系の人がバイブルにしているハキム・ベイの「T.A.Z.」(難解な本です。邦訳が出てやっと内容がわかりました^^; インパクト出版会)でいう、恒久性を志向するようなシステムとしての「ネット」に対して、暫定的自治ゾーン(Temporary Autonomaus Zone)としての「Web」という概念があります。確かに、目的や思想や時限的な条件などで、全く違う場所から集合離散しながら、テンポラリーに存在していくコミュニティやコーポレーションのありかたは、とてもインターネット的です。ハキム・ベイはアナーキストらしいので、国家のようなシステムに対してT.A.Z.と言っていると思いますが、企業活動や地域社会に、対しても、インターネットは同じようなポジションがあると考えられないでしょうか。
制度的な社会様式に対して、コミュニタスとかリミナリティとかという平等で非体系的な共同体の概念がありますけど(ビクター・ターナーだったと思いますが)、T.A.Zとかバーチャルコミュニティのイメージのベースには、そういうものがあるような気がします。どこかヒッピーのコミューンとか千年王国運動とかっていうもののイメージがオーバーラップしているような部分もあり、危なっかしいんですが。(ラインゴールド氏は「ミレニアム・ホールアース・カタログ」の編集者でしたね)
もちろんこういう暫定的な共同性も長期化すればそれは「システム化」せざるをえないわけですから、同じなんですが、本来は地域的条件などで集合できない人々が、テンポラリーに集まりプロジェクトをこなしていくときの、パワーとか充実感といったものが、インターネットのコミュニティのパワーになっているような気がします。
これはベンチャー企業の発生の風土にも近いものを感じます。違うタイプの人間が出会い、理解し合う過程で、同一性と差違が了解され、そこからアイディアとパワーが生まれてくる。しかしそれを恒久性を持ったシステムにしようとすると、ベンチャー精神はなくなる。日本でベンチャー企業が生まれにくいのは、なにも制度面の問題ばかりでなくて、元の社会の均質性と、恒久的なシステムを志向する国民性にもあるのではないかという気がします。インターネットにベンチャーが生まれやすい理由として、こういう要素もないでしょうか。

From: 杉井 鏡生
Subject: [00054] Re:ジャーナリズムの未来


杉井です。
[ジャーナリズムの未来]
日経新聞の2月1日付けのSunday Nikkeiのスクープという欄にも取り上げられましたが、新しいタイプのインターネット「ジャーナリズム」が話題になっています。
これらの多くは、例のクリントン米大統領の「偽証強要疑惑」の報道にからんで、マット・ドラッジ氏の「ドラッジ・リポート」などを取り上げ、あまり真偽を確かめずに噂でも何でも流し続けるインターネット上の報道が行き過ぎではないかという主旨のものです(これはインターネットだけではないと思いますが)。みなさんはどうお考えですか。
この手のものでは、現行の法律規制でも対応できそうなものに対してまで、すぐに「このままでは言論規制の可能性も」という話が出てくるのは解せないところがあります。
しかし、規制論はともかくとして、当面、インターネットでは専業ビジネスとしてのジャーナリズムは成り立ちずらいとはいえ、マスメディア機関(ネット上のマスメディアも含めて)だけに依存しないでも発信が可能なインターネット上の新しいジャーナリズムにも役割と可能性を期待できるとしたら、それを健全に育てるための方法は考える価値があると思います。
たとえば、ジャーナリズムに対する批評や、ジャナリズム間の相互批評というものを発展させていくことも、そのひとつだろうと思います。これは従来のジャーナリズムにも、もっとあっていいことですが、マスメディア機関中心の世界であったせいか、あまり活発とはいえません。それに対して、インターネットのほうがやりやすい上に必要度も高まってくるのではないかと思っています。

From: 公文 俊平
Subject: [00055] Re:ジャーナリズムの未来


公文です。
From: 杉井 鏡生
Subject: [00054] Re:ジャーナリズムの未来

[ジャーナリズムの未来]
日経新聞の2月1日付けのSunday Nikkeiのスクープという欄にも取り上げられましたが、新しいタイプのインターネット「ジャーナリズム」が話題になっています。
日経のこの欄は私も見ましたが、正直言ってかなり首を傾げてしまいました。ネットの規制問題は、ポルノとの関連ではすでに95年の夏(タイムが大々的に報道した)ごろからワシントンでは大きな政治問題になり、それが通信品位法の制定につながり、さらに通信品位法の違憲判決がでると、こんどはPICS推進の動きにかわったと思います。他方では、暗号化技術の輸出や利用規制をめぐる一連の動きが続いています。
その中で、ホワイトハウスは今回のスキャンダル問題で、本当に「新しいジャーナリ ズムとしてのインターネット」のあり方に目を向け、対応を考えるようになっているといっていいのでしょうか。まだそこまでは行っていないのではないでしょうか。という次第で、私には、あの記事はやや短絡的ではないかなと思えました。そうではないといえる具体的な動きがあるとすれば、是非教えていただきたいものです。

From: 藤原 宏高
Subject: [00056] Re:ネット紛争解決


弁護士 藤 原 宏 高です。
 実はEC分科会に移転すると申しておりましたが、この部会でも発言を依頼されましたので、突然ですが、議論に参加させていただきます。
「プライバシー問題について」
 プライバシー概念が、「私生活をみだりに公開されない権利」から、「自己の情報をコントロールする権利」へと変遷して行くにしたがって、個人のプライバシー意識も高揚して来ています。ただし、後者の情報プライバシー権は、まだ判例上確立しているとはいえませんし、個人のプライバシー侵害の効果は、不法行為による損害賠償請求で、しかも裁判所の認める慰謝料は極めて少額です(名誉毀損と異なり、刑法の適用はありません)。したがって、プライバシーを侵害された個人が赤字覚悟で裁判に訴えない限り、加害者はやり得となります。
 個人情報の漏洩、盗用など、個人のプライバシーが極めて侵害されやすいインターネットでは、従来の法規制に加え、個人情報保護法が必要となります。
 刑罰的強制を持って個人情報の保護を計る必要があるわけです。我が国には、行政庁が管理する個人情報についての保護法しか存在せず、OECD8原則に準拠しているか疑わしい限りです。
 具体的には、個人情報を管理しているプロバイダーなどに、個人情報の管理責任を認めるべきでしょう。なお、私は、インターネットのホームページは公開されており、通信の秘密は及ばないと考えています。したがって、通信の秘密だけでは、個人情報の保護は不充分であると思います。
 この点につきご意見があれば、教えてください。

From: 杉井 鏡生
Subject: [00057] Re:ネット紛争解決:プライバシー問題


杉井です。
[ネット紛争解決:プライバシー問題]
藤原さん、お待ちしておりました。ネット分科会へもご参加をありがとうございます。
乱暴ですが、要約すれば、日本における現在のプライバシー権の現状はまだお寒い状況であり、従来の法規制に加えて、民間のプロバイダなども対象にした新たな個人情報保護法の制定が必要であるとのご意見ですね。
重要なご指摘だと思います。これについても業界団体の自主規制で対応している例もありますが、果してそれで間に合うのか、やはり新たな法制定をすべきなのか、さらに別の方法があるのか、みなさんのご意見を伺えればと思います。
また、民間を含めた個人情報保護の制度化は必ずしも進んでいないわけですが、何がバリアになっているのかという問題についてのご意見や、その解決方法のアイディアなどもありましたらご紹介下さい。
さらに、最終的に法規制に頼る必要があるとしても、福冨さんが指摘されていた他人のプライバシーに対する鈍感さの問題など、そこまで行く前に我々が考えておくべき課題と対策についてもご意見がありましたらお寄せ下さい。

From: 公文 俊平
Subject: [00058] Re:ネット紛争解決


公文です。
藤原さんの指摘された、
From: 藤原 宏高
Subject: [00056] Re:ネット紛争解決

プライバシー概念が、「私生活をみだりに公開されない権利」から、「自己の情報をコントロールする権利」へと変遷して行くにしたがって、個人のプライバシー意識も高揚して来ています。
という点は、まさにそうなってしかるべきだと私も思います。私は、個人であれ集団であれ、「自己の情報をコントロール」する権利を「基本的情報権」の一つとしてみとめられるべきだと思います。それを前提として、他人が私の自己情報を勝手にコントロールしないように要求する権利(つまり、狭義のプライバシー権)が成立するのではないでしょうか。
しかし、「自己の情報をコントロール」することは、それを常に秘匿することを意味しません。むしろ、積極的にその一部(できる限り多く)を自己の責任で公開し、公開された自己情報をシェアする他人は、相手を傷付けない形でそれをなるべく自由に利用するという慣行が確立して行くことが、情報社会の発展ではないかと思うのです。
この点について、あるオンライン・コラムに短い文章を書いてみました。ついでにご覧いただければ幸いです。URLは、
www.jcc.co.jp/~mmbc/inter/net/net.html
です。一両日中にここに掲載されると思います。

From: 福富 忠和
Subject: [00059] Re:ネット紛争解決


藤原さんのポストされた、プライバシー侵害に対する慰謝料など刑罰の強化の意見には賛成です。
しかし、幾つかの点で疑問点があります。
From: 藤原 宏高
Subject: [00056] Re:ネット紛争解決

具体的には、個人情報を管理しているプロバイダーなどに、個人情報の管理責任を認めるべきでしょう。なお、私は、インターネットのホームページは公開されており、通信の秘密は及ばないと考えています。したがって、通信の秘密だけでは、個人情報の保護は不充分であると思います。
この点につきご意見があれば、教えてください。
1)プロバイダーなどに個人情報管理責任を認めるべきという場合のプロバイダーは電気通信事業者を指しているわけですが、一般企業や学校など、多人数の接続を行っている団体のシステム管理者についても、そう考えられませんでしょうか。
たとえば携帯電話の顧客情報が流出している問題では、電気通信事業者である電話会社からではなく、販売店からの流出が問題になっています。これは現行の法律では取り締まれないのではないですか。電気通信事業者でない一般の団体でも、個人をインターネットに接続させている場合は、個人情報管理責任を認めたほうがよいのではないですか。
2)「インターネットのホームページは公開されており、通信の秘密は及ばない」といった場合、「公開されている」ということと「電気通信事業者は通信の秘密を守るべき」ということとは違う気がします。技術面での問題も残る気がします。ホームページは1対Nの一方向のシステムではなく、ちゃんと対称性のある双方向の仕組みです。ホームページを開いてみればわかると思いますが、アクセスしてきた人の(個人)情報がweb側に残ります(というかアクセス側から送られてくる)。また一時期問題になったcookieファイルなどの問題もあります。
たとえば、webにアクセスしてきた人のメールアドレスを公開したり、逐次ホームページ上に自動的に表示する仕組みを作ることが出来ますが、これはプライバシー権に関わりませんか。しかし藤原さんの論理だと「通信の秘密」には関わらないわけですね。
素人考えですが、国家や電気通信事業者、あるいはシステム管理者が守るべき「通信の秘密」の概念と、個人ユーザーレベルのプライバシーの概念は違うような気がします。電気通信事業者やシステム管理者に通信の秘密を保持する義務があるからといって、公然性がないわけではないですし、名誉毀損などが成立しないとは考えにくいのですが。
3)加えて、よく言われる「公然性を有する通信」という概念も、不自然な感じがします。公然性を有する故に違法性が成立するケースというのは、猥褻とか名誉毀損のケースでしょうが、インターネット全般にこの概念を当てはめるのはおかしい。公然性を有していたかどうかは、その都度判断すべきじゃないですか。たぶん、放送と通信の融合というテーマの中で放送法から導き出されてきたと思いますが、放送の仕組み上、コンテントが公然性を有しているから放送法が定められてるのではないですね。単に電波資源(帯域)の有限性から、公共性を求められているだけでしょう。だから「公然性を有する出版物」なんていいませんよね。

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