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C. ネット社会部会
「ネチズンの登場と新しい 民主主義社会―ネットワーク社会問題解決への世界協調」

1998年2月26日〜3月4日
From: 飯坂 譲二
Subject: [00178] Re:日本人の主体性
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飯坂 譲二
From: 杉井 鏡生 Subject: [00175] Re:日本人の主体性
[日本人の主体性]
このスレッドは、ますます活発になってきましたね。
中略
その意味では、どの問題についてはどこまで個人任せの自己責任原則にし、自己責任原則を実現する上でも個人任せだけでは済ませない問題については、どのような対応(社会的な役割分担を含めて)をすべきかということの検討が必要な気がします。政府そのものを無くすほどの徹底した個人の自己責任原則を前提にするなら、こんなことはもはや検討課題にもならないでしょうが、そうではなければ、境界領域が曖昧なところから足元をすくわれてしまうことを危惧します。いかがでしょうか。
まず日本人に限らず、また、政治、経済、産業、教育、個人そ他主体性を発揮する場に拘わらず、「主体性をもてる条件」・「主体性を発揮できる」ためには、次の条件がみたされる必要があると考えています。そして、その条件を満たし得る主体が、ネット社会との関わり合いで大いに変貌し、主体に変化が出て来ている面があると考えています。
主体性の条件
1)主体性を発揮しうるに十分な情報なり、ものが集められること判断し様にも材料がないと判断しようがありません:これは情報公開につながります.企業でいえば総会屋への特別供与、政治家をからめたインサイダー取引き、株主無視の姿勢などがこれにあたるでしょう。
企業の実績情報が得られなければ、投資先の決めようがありません。
2)集まった情報なり、ものを選別・フィルターをかけて、どれが有用な情報なのか、どれが役にたつものかを判断しる機能・能力があること。
情報洪水の問題がこの一つでしょう。
フィルターの性能が悪いとどれが本当の情報かわからず、固定したフィルターで自分の意にかなわないものはすべて作り事とバイアスをかけたり、色目で観ます。
どの情報を取り出し組み合わせるかは、フィルターの目の粗さを主体をもつ側が選択せざるを得ません。フィルターの選択をあなた任せにすると入ってきたものは、眉唾物です。
3)状況判断能力
取り出した情報を、これまでの経験・既存の知識(例えば、いろいろな原理・法則や過去のデータ)を組み合わせ分析し、状況を判断する能力が必要で、これが出来ないと、所詮いろいろなデータや情報を集めても猫に小判です。
証券会社の薦める株や投資信託を買って損をした大衆も多い事と思います。NTT株などがいい例でしょうか。
4)予見・予測の能力
3)の状況判断の結果、将来どの方向に行くのか、日本経済は大丈夫ななのか、同じ製品を作っていって売れるのか、借金は返せるのかなどです。
ねずみ算が出来なければ、ねずみ講で泣きをみますし、バブルに焦った人は、いま、売るに売れない住宅ローンに泣いている筈です。
5)対応行動ができる能力
予測結果が得られれば当然、ネガティブな予想については、対策をねり、 行動に移すことが出来れば、その損害を最少に押さえる事が出来まし、予測結果がポジティブであれば、さらに利益を増大できます。
6)学習能力
1)から5)をふまえた結果を学習でき、それを新しい知識・知見・データと として貯えることは、さらに主体性を保持・維持・発揮できるようになると思います。
この6要素を前提に、今までの社会とネット社会の在り方を対比するのはそう難しいことではなく、また、だれがそれを行なうのかそれぞれの場に応じて選択すればよいだけと思います。
1)については、情報に入手が限定・制限されている場合、例えば、戦時中の大本営発表しか情報がない時代は、主体性を発揮しようにもその手段はなかった筈ですし、今の日本のメディアのように官庁御用達の記者クラブ発の情報のみで新聞記事を埋めていたのでは、日本全部が横並び記事で間接的な言論統制といわれてもやむを得ないでしょう。
官報、記者クラブ発表記事、官庁の物品購入先発注先、入札・応札状況・選択基準、接待・招待先その他が公開されれば、密室内の談合などなくなります。
私はすでに紙に印刷された新聞の購読を止めてしまいました。
国際ニュースは、外国通信(ちなみに昭和天皇崩御のニュースは、AP通信で日本の皆様よりはやくしりました)、日本の動きは一紙をよくみれば、後は別の見出しを探すだけです。
ネット社会は、主体を官かから国民に移せるわけですが、主体性をもたなくてよいとならば、大本営発表で満足すべきでしょう。
当然国家に存続に拘わるよな戦略情報や外交上ホットなやりとりまで公開する必要はないとおもいます。(ただし、時間が経って実質的に国家の存亡に関係しなくなる時期、例えば30年なり後には、公開すべきでしょう。
問題は、どのレベルのどんな情報を公開すべきか、その弁別をはっきりさせることで、その基準は、それぞれの国の文化・歴史・国民のレベルなどでかわってくると思います。
個人のレベルであれば、競馬のかけなど、みんな1)から6)までをやっています。だから、競馬の馬選びの主体性を論ずる人はいないと思います。
神戸地震は、地震学者がデータを集めても、分析しても予想は出来なかった。
地震後の事後処理を、国は逃げてしまい個人を主体にし、国という国民の集団を主体とは考えなかったように思います。
ネット社会の出現よって私は、この主体性を持ち得る条件を誰がが、どのように持つのか、まただれに委ねたらよいのか、これまでのありようとは変わる筈だと思います。
その検討をどうシステマティックにすすめるかを目的として、このコメントを書いてみました。
ネット社会が個人と世界中を相手した集団という図式以外をどうも模索したよいのか分からずにいます。よい考えがあったら教えて下さい。
ここで論じたものは、日本ばかりではなく、アジアやその他に国についても共通に当てはまると思います。
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From: 杉井 鏡生
Subject: [00179] 日本人の主体性:多様性の理解と承認
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杉井鏡生です。
飯坂さん、「日本人の主体性」の議論で、一歩先に進めて下さいましてありがとうございました。
ところで、司会者が総括的な提言を求めてしまったので、これまでの議論を継続しずらく思われている方があるといけませんので、自分で議論を継続します。
[ネットワークの進展と多様性の理解と承認問題]
これは「日本人の主体性」での、山崎さんの「電子ネットワークは「多様性の承認」に成功するだろうか」という問題提起に興味を持って取り上げさせてもらいました。
山崎さんが、「ネットワーク上で生まれるものは何もない」と言われてましたが、「ネットワーク上」だけの出来事であるかどうかはともかく、世界が「つながる」なかで、「多様性の承認」に成功しても、反対に、多様性を無くしてしまったとしても、これは結構、ネットワーク化の進展によって生まれる大きな社会的な事象ではないかと思います。 この場合、多様性の確保をすべきアイデンティティを、個人のレベル、地理的コミュニティのレベル、その他の関心的コミュニティのレベル、国家のレベル等々、どこでに置くかでも見方が違ってきそうに思います。
この場合、コミュニティ・レベルのアイデンティティを求めるところに、コミュニティ・レベルのアイデンテイティを捨てて、個人レベルのアイデンティティ中心のスタイルを押し付けられては多様性が確保できないといわれるでしょう。
と同時に、コミュニティ・レベルのアイデンティを個人のアイデンティティより重視しているところでは、そのなかで個人のアイデンティティをより重視したい人から、ここでは多様性が確保されていないといわれるかもしれません。
こうなると問題は解けない感じですが、ここらへんは、単純に個別化や多様化か、または共通化ないしは一元化かという話ではなく、両方の要素をバランスさせてはじめて成り立っている社会なのだという気がしています。
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From: 飯坂 譲二
Subject: [00180] Re:日本人の主体性:多様性の理解と承認
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飯坂 譲二
From: 杉井 鏡生 Subject: [00179] 日本人の主体性:多様性の理解と承認
[ネットワークの進展と多様性の理解と承認問題]
世界が「つながる」なかで、「多様性の承認」に成功しても、反対に、多様性を無くしてしまったとしても、これは結構、ネットワーク化の進展によって生まれる大きな社会的な事象ではないかと思います。
この場合、多様性の確保をすべきアイデンティティを、個人のレベル、地理的コミュニティのレベル、その他の関心的コミュニティのレベル、国家のレベル等々、どこでに置くかでも見方が違ってきそうに思います。
この場合、コミュニティ・レベルのアイデンティティを求めるところに、コミュニティ・レベルのアイデンテイティを捨てて、個人レベルのアイデンティティ中心のスタイルを押し付けられては多様性が確保できないといわれるでしょう。
と同時に、コミュニティ・レベルのアイデンティを個人のアイデンティティより重視しているところでは、そのなかで個人のアイデンティティをより重視したい人から、ここでは多様性が確保されていないといわれるかもしれません。
こうなると問題は解けない感じですが、ここらへんは、単純に個別化や多様化か、または共通化ないしは一元化かという話ではなく、両方の要素をバランスさせてはじめて成り立っている社会なのだという気がしています。
あまり、適切な例ではないかも知れませんが、ネットワークの進展にせよ、世界全体の変化進展にせよ、次のように考えています。
ご存知のように、物質は、原子分子から構成さています。
個人はある意味で、一つ一つの原子にたとえることが出来るとします。
水や金属のような単純な物質は、構成している原子の種類も少ないし、構造も比較的簡単です。そして「おれは水だ」、「俺は銅だ」、「おれは水を作っている水素だ」と主張するわけで、物質とそれを構成する原子との間には直接的な関係や構造を考えれば十分です。
DNAのような生体系の高度な分子も所詮、炭素、水素、酸素、窒素などの集まりですが、アミノ基あり、アルカリ基あり、似たような原子が集まってもその組み合わせや構成法でまったく機能を別にしたグループがあります。
環境の変化、外敵の進入など何らかの理由で今までの生体分子と異なった分子を作らねばならなくなったとき、原子を1から組み合わせを変えておこなうことも可能ですが、アミノ基とかその他機能の分かっている既存の基を組み替えてあらたな構成を探った方が速く目的とする物質をつっていると思います。
高度な社会では、ひとつひとつの原子に対応する個人と原子の集団としての物質という2面だけでなく、その中間的な集団化学的な基に相当する集団が生まれるのではないか、これがある意味で細分化でしょう。
また 多分これが、専門家集団とかSOHOとか、地域団体、コミュニティーレベルの集団なのかも知れません。
従って原子としてのアイデンティティーと基としてのアイデンティティーとは矛盾するわけでもなく次元が異なっていると思います。
今までは、日本の物質はAでなければならないというパラダイムに閉じ込められていたように思えます。
環境が変わり、A’という物質を作るかまったく異なったBという物質を作らねばならなくなったのが今の問題でしょう。
ある時代に、必要とする物質が一つまたは、数が少なくてよかったときには、その物質を速く安くつくるとかが、パラダイムの中心でした。
そして、その物質を構成する原子や基は一生懸命その役割を果たせばよかったわけで、
たまにくたびれた部分が出来ると、新鮮な物に入れ替わります。
基の存在は高度なものの成長を助けます。
ネット社会では、どんな基がこれからの時代に必要かが問題となると思います。
いろいろの種類の基があって、必要目的に応じて組あわせをすばやく変えてあたらしい機能や性能をもつ社会を構築することになるのではないでしょうか。
原子レベルのアイデンティティーを無視しているのではなく、基としてのアイデンティティーを模索する方がよいのではないでしょうか。
多様性か一様性かの2値的な思考でなく、もっと階層的なものと考えられないでしょうか。
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From: 杉井 鏡生
Subject: [00181] ネットワーク・コミュニティ
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杉井鏡生です。
「日本人の主体性」の議論のなかから、小池さんが提起された「ネットワークでは細分化が進む」という話を「ネットワーク・コミュニティ」というスレッドに分けました[00166][00168][00173][00177]。
[ネットワーク・コミュニティ]
小池さん、米国でのチャットの事例ありがとうございます。[00173]
電子ネットワークは開放的な空間(出入り自由といってもいいでしょうね)なので、短期的な人間関係が特徴的になってくるのではないかと思われているとのことですね。
ここでの中心議題であるネットの社会問題解決を考えたとき、犯罪への対処など既存の法律に依拠せざるを得ないものがある一方、運営の問題や、その他の多くの問題については、個人的な対処や事業者による市場的な対処だけでなく、ネットワーク的なコミュニティが機能するのではないかという期待があります。
その意味で、ネットワークにおけるコミュニティがどのような性格を持ち、どのような機能を果たし得るかを考えるうえで、非常に重要な関心点ではないかと思います。
私は、電子コミュニティを従来の閉鎖されてライフサイクルの長いコミュニティと比べると、小池さんのいわれるような開放型であるところに特徴があると思います。
そのことが、お互いの信頼感を低くし、相互依存性を浅くする可能性が高いのも事実と思いますし、そういう人間関係を活用する使い方も現れていると思います(これは悪いことではなく、お互いの関係が強くないから話せることや相談できるメリットも大きいわけです)。
しかしその一方で、細分化という現象は、刹那的な関係を利用すると同時に、より恒常的なコミュニティをつくる方向でも進んでいるように思います。チャット仲間で恒常的にオフライン会をやっているグループもありますし、パソコン通信でいえば、フォーラムという開放型の場からサロン型のコミュニティが大量に発生したり、インターネットではメンバーシップ型のメーリング・リストの利用が広がっているのも、そうした現象のひとつのように思います。
しかし、そうであっても、ネットを通じての関係である以上、出入り自由でローコンテキスト(お互いの背景が分かりずらい)なことには変わりません。従来の共同体のように、黙っていてもアウンの呼吸で分かるようなハイコンテキストな社会ではないです。そのために、お互いの信頼を高めるために、従来のコミュニティより以上に積極的で開放的なコミュニケーションをとることが必要になるだろうと思います(望ましくは、情報公開と説明責任に基づくより透明性の高い情報交換がなされるといいわけですが...そう綺麗事だけではいかないでしょうが)。
この場合、コミュニティが形成されるといっても、開放型であり、かつ相互のネットワークも可能なので、同じ人が多重なコミュニティに参加したり、コミュニティ間の相互交流も従来以上に容易なわけです。もしそうした性格のコミュニティが形成されるのだとしたら、従来のコミュニティとは違った問題解決のアプローチも可能になってくるのではないかと思われます(これは超楽観主義?...これが従来型より優れていると思っているわけではありません、違う特徴を備えているだけです)。
ただし、それでも所詮はネット上の関係に過ぎないので、継続的な社会活動(事業の運営など)などでの役割を期待するには不安もあります。そんなときには、ネット上だけで考えずに、地域コミュニティなど既存の物理的な社会との結び付きをつくることで継続性を担保にするという方法も考えられるかも知れません。地域との結び付きのなかで動きだしたネットワーク活動は、この例になるかも知れません(大分のCANや、ブラックスバーグのBEVなどはこの範疇に入るのでしょうか)。
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From: 飯坂 譲二
Subject: [00182] 日本文化とプライバシー
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飯坂 譲二
時間あまりありませんので、一方的にながします。
日本家屋は、最近の家屋は別にして、開放的です。
座敷から、障子、縁側を通じて外に通じます。
当然、障子を閉めていても、中の声は聞こえてきます。
プライバーシーが欲しいとき、人々は障子を閉めたものです。
また障子が閉まっている部屋には近づかないようにと教えられました。
物理的には、プライバシーはありませんでしたが、障子の外に立って中の話を聞く事はタブーではしたないことでした。ましてや、そこで聴いた話を他人に漏らすなどは持ってのほかの行為でした。
使用人にも厳しくこのような行為をしないように教えられ、
だから、他人の座敷の下にもぐり込んで秘密をさぐる忍びは、ある意味で忌み嫌われた人だったと思います。
また、他人の立ち聞きをする使用人は、結局、「あの人は立ち聞きをする人だ」というレッテルをはられ、所詮走狗におわります。このような文化が長い間日本の社会にあったと思います。
技術的な未熟や精度上の問題そのた、今のネット社会もある意味でまだ障子の世界であることは確かでしょう。窓で閉じてもだめです。
アメリカのスパイは、ビルの窓の振動を向かい側のビルからレーザで検知し中の会話をとらえるとか。
完璧な技術が出来るまで、待つのもいいですが、閉じられた部屋の会話を立ち聞きしない、聞こえても他人に口外しないといった文化をネット社会に実現できないものでしょうか。
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From: 杉井 鏡生
Subject: [00183] ネット分科会のまとめ(1)
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杉井鏡生です。
要約的なまとめを作り始めました。抜けているところ、勘違いしているところががあると思いますので、その点は、みなさまからのご意見のなかでフォローいただけるとありがたいです。
また、会議では、直接ネットワークに関連しないところでの議論にも大変貴重なご意見をいただいておりますが、申し訳ありませんが、都合でそこらにへんは割愛させていだいたところがあります。ご容赦下さい(たとえば、バイラインをめぐるジャーナリズム論など)。
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ネット分科会のまとめ(1)
●エンドユーザーへの理解普及の課題
まだネットワークを利用していない人の多くは、ネットワークのことを理解した上で使わないのではなく、ネットワークの価値が未知数のままであるという指摘がなされ、そうしたエンドユーザーに、いかにネットワークの価値を理解してもらうか、という問題提起でしたが、残念ながら、今回は論点の抽出についてすら議論不十分に終りました(後の「日本人の主体性」論議が多少つながる論点とはいえそうですが)。
●「ネット紛争解決」「ネットワークと人権」
この問題については、いつものことですが、問題を調整する主体として、国家や政府による活動に重きをおくのか、新たな法規制が必要かどうかが論点のひとつとなりました。
調整の主体としては、国家や政府に重きを置くべきという意見のほかに、NPOなどの中間社会セクタの役割への期待が複数の方から、問題によっては中立的な第三者機関による審査機能が有効ではないかという意見がありました。
ただし、今回の議論の限りでは、よくいわれるような単純な対立構造ではないと考えられます。どちらの立場にしても、政府が全ての問題解決のプロセスに中心的な役割を果たすべきという意見や、その反対に、民間社会セクタがすべてを解決できるという意見はなかったです。
今回、紛争解決の事例として話題になった、ドメイン名登録、名誉毀損、個人情報保護、表現の自由、差別情報など、対象となる問題領域によっても、どこが主体になり、どのような規制の枠組みをつくるべきかは一応でないことも浮びあがったといえます。
ただし、表現の自由や通信の秘密と公共性を理由としたその社会的な制約の是非や範囲と方法をめぐっての議論のように、個人の価値観における違いが大きい問題があることも事実です。
さらに、規制への賛成・反対の立場は別にして、法規制を検討する場合にも、米国のCDA法や、今回発表された警察庁の風俗営業法改定案などを例に、問題解決への手法としての適切性の検討や、社会的な合意形成が不十分なまま進められていることに対する批判も強くありました。
また、「プロバイダの規制は世界的なコンセンサスが必要だ」という意見がある一方、個別の紛争解決に関わる議論の多くは、日本のローカルな法律や社会システムとのからみのなかで展開をせざるを得なかったのも事実です(会議のコーディネーションに問題もあるでしょうが)。このグローバルな課題とローカルな課題を同時に抱えるというのはインターネットの特徴といえそうな点で、サミットの議論として期待したいところです。
●ジャーナリズムの未来
インターネットでジャーナリズムはどう変わるかがテーマでした。これについては、誰でもが発信者になり得るインターネットでは、発信者はインサイダーになってしまうという意見がある一方、フィルタリング機能としてのジャーナリズムはインターネットでも求められるという意見も有力でした。
フィルタリング機能としてのジャーナリズムにはブランド性が求められるだろうという見方が多くありましたが、そのなかで同時に、サイバースペースでは、従来のマスメディアではなく、マスなミニコミになるという意見がある一方で、報道機関には、今後ますます情報提供のための資金と組織が必要となるので、マスメディアという構造は変わらないという意見がありました。ブランド化によってメディアが集中する恐れがあることについては、集中を防ぐのはユーザーの選択の問題であるという意見も出されました。
また、プッシュ技術や非対称通信技術の普及が、マスメディアの力関係を高めて、エンドユーザーが情報発信の自由度を相対的に奪われるのではないかという懸念の声もありました。この対策としては、CATVにおけるパブリック・チャンネルの例が紹介されました。
ジャーナリズムの形態としては、読み手と書き手の距離が縮まったり(直接出会う、同社の代理人性が強まる)、ジャーナリズムが読者の代理人としての役割を果たせるようになるという意見が出された一方、サロンはできてもオピニオンリーダーとしの役割を果たせなくなるのではないかという問題も指摘されました。
ジャーナリズムのビジネス・モデルとしては、現在は広告モデルしかないことの問題点が指摘されましたが、一方では、広告モデルでも独立性を持った電子ジャーナリズムは成り立つのではないかという意見も出されました。また、様々なニュースや情報を配給するシステムとしてのプラットフォーム・ビジネスが台頭するとの可能性も示されました。 直接のジャーナリズム活動ということではないですが、健全なジャーナリズムを育成することにインターネットを役立てるという視点で、ジャーナリズムに対する批評や、ジャーナリズム同士の批評の場としての電子ネットワーク利用の有効性についても提案されました。
(つづく)
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From: 杉井 鏡生
Subject: [00184] ネット分科会のまとめ(2)
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杉井鏡生です。
ネット分科会のまとめ(2)
●情報洪水への対処
「情報洪水への対処」の問題は、当初、ネットワークにおける情報の品質を保つために、学会における論文審査のような情報審査機関による「規制」が必要ではないかという問いかけがきっかけでした。
これもネットワークにおける社会問題のひとつではありますが、犯罪ではない情報に対して「規制」の是非を中心に議論するのは無理があるので、「情報洪水への対処」として検討されました。
情報洪水の発生の原因と対処の方法は、企業内で発生する場合、一般社会の利用者のところで発生する場合、電子メールによる場合、ウェブによる場合など、ケースによっても、問題の所在は違うことが指摘されました。
情報の受信については、個人の取捨選択の情報判断力を高める、ソフトウェアなどの技術を活用する、検索サービスやフィルタリングのサービスを活用するなどの方法が提案されました。また発信についても、ウェブでは見やすいものを作るなどの工夫や、企業内の電子メールではカーボンコピーや添付ファイルの多用を防ぐ、5W1Hを意識した文章作法などのマナーやルールづくりが必要という意見が出されました。
この過程で、自己の判断力が必要だといっても、自分で考えられない人はどうするか、そういう人が質の悪い情報にひっかからないような社会的なモラルや制度が必要ではないかという意見と、そうした甘やかしの構造ではなく、これからの日本は、あくまで個人の自己責任をベースにすべきだという意見が論議となり、「日本人の主体性」論議へと発展しました。
●日本人の主体性
「日本人の主体性」については、「自分で考え、調べ、疑問を投げかけず、全て国に頼るか、横並び感覚でものを判断することしかできない日本人」に対して、日本人は他に頼らない「主体性」をもった自己責任原則でネット社会に対応すべきだという主張からのスタートでした。
この発言の背景には、「法規制の前に、家庭、社会を問わず、既存の機能でインターネットのかなりのマイナス面をカバーできるのではないでしょうか」という意見が含まれていますので、「ネット紛争解決」や「情報洪水」の問題解決の主体は誰かというテーマに対する提案でもありました。
個人の自己責任原理に基づく社会をつくるためには、個人が自己判断をできるように情報公開を進める、自ら知る努力をした人としなかった人との差が歴然となるシステムを導入する、公正のためのルールを厳格に運用し違反者のペナルティを大きくする、弱者を排除しないことなどが提案されました。
市場競争的な適者生存をベースとした「主体性」論に対しては、日本では「主体性」と自己責任原理を高める必要があることは認めつつも、それだけでは強者の論理になってしまうのではないかという意見や、経済領域には規制緩和と自己責任に基づく自由競争の強化の必要は当てはまっても、生存に関わる社会領域にまで適用するのは荒っぽすぎるのではないかという意見が出されました。
さらに、こうしたいわばアメリカ社会タイプの「主体性」の必要を前提とした議論に対する批判として、日本人の持っている協調型の社会を捨てるのには反対だという意見も出されました(協調型の社会を作っているのも日本人のひとつの「主体性」の現れということでもあります)。将来、再び協調型の社会が求められる時代が来たときに日本が世界に貢献できるのではという期待も表明去れました。
これに対しては、個の自己責任をベースにした競争型の「主体性」の好き嫌いは別にして、世界はその方向に進んでいるので、いずれその環境に合わせなければいけないという意見があった一方、米国型の自由主義を中心とした市場競争的な原理がグローバル・スタンダードとして貫徹しているのは事実としても、それぞれの社会(国や地域)の特性を考えたとき、それだけに合わせるのが適切であるかどうかは疑問であり、とくにアジアの多様性を考えると、そもそも米国との対比だけで考えるのは不適切ではないかという意見が出されました。
その場合、「個」を基本原理とするだけでは足りない部分を補うものは何か、という問題提起がなされ、それを「コミュニティ」と考えていいのではないかという意見も出されました。
●「日本人の主体性」に付随した論点
「日本人の主体性」のスレッドのなかで、関連して下記のような論点が提出されました。時間の関係で十分な議論に至りませんでしたが、今後の議論のテーマになりそうです。以下、論点だけ羅列します。
そのひとつは、山崎さんから提起されたもので、
・「ネットワークは「多様性の承認」に成功するだろうか」
もうひとつは、小池さんから提起されたもので、
電子ネットワークは、その開放的な特性から、コミュニティが細分化するとともに、非常に短いライフサイクルの人間関係が断片的につくられるようになるのではないかという問題意識から、以下のような問題提起がなされています。
・精神的な依存関係(信頼関係とか)や経済的な依存関係は変わるのか?
・単純に「信頼感が低い、相互依存が浅い、開放発散型の社会」と言えるのか?
・BtoBも変わるのだろうか(EC分科会のテーマに関わります)
・たぶん主体性の話もそうした状況ではだいぶ違ってくるだろう
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From: 杉井 鏡生
Subject: [00185] ネット分科会のまとめ(3)
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杉井鏡生です。
まとめの完結編ですが、ここで取り上げるものは、議長の力量不足もありまして、スレッドとして十分に議論が続かなかったものが多く申し訳ありませんでした。
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ネット分科会のまとめ(3)
●「ネットワーク社会の未来」
公文俊平さんから、SF小説を題材に、ネットワーク社会への移行は、既存の産業、国家という枠組みとの平和的な協働によって実現できるのか、それとも平和的な調整に失敗して、市民革命に匹敵するような「ネチズン革命」が起きるのだろうか、という問いかけがなされました(小説では企業連合による知的財産権の独占が起きネチズンによる蜂起が示唆されています)。
●「電子ネットワークと市民生活」
・「働き方の変化」「女性の在宅ワーク」
田澤由利さんから、SOHOによって、これまで機会に恵まれなかった主婦など女性の社会進出の可能性が広がった一方、企業からは体のいい低賃金労働力に過ぎないと見られていたり、働く側からは気楽にできる安易なアルバイト程度にしか見られてはないだろうかという問題提起がありました。
・「市民生活の変化」
三石玲子さんから、バーチャル化は良い面も悪い面も含めて市民の生活レベルにも大きな影響があると、以下のような可能性が指摘されました。
1)生活の規制緩和をもたらす(ネットワークによってSOHOなど新しい働き方が可能になることで、家庭のあり方も変化する?)
2)small is smartへの価値観の変化が起こる(小さくても困らない)
3)顧客主権が進む(一方での選択肢の増加による負担増)
4)リアルの場の価値観の再認識が求められる
●「電子ネットワークは新しい民主主義を生み出すか」
安延申さんから、電子ネットワークの同報性と双方向性によって、政治プロセスはより参加型のものへ変わるという指摘とともに、その結果め、政治が「人気投票」型のものへなる可能性があることに怖さを感じるという指摘がありました。
林芳正さんからは同様の意見とともに、政党の再活性化でCommunitarian Democracy的な要素を取り戻せという主張があることが紹介されました。
(ここでいうCommunitarian Democracyは、世論追随型や、利益代表者相互の調整型ではなく、お互いをよく知り合った議員同士が地元の利益だけでなく、国全体のための議論を戦わして智恵を出していくイメージです)
●インターネット10大警報
小池良次さんから、米AIM(Association for Interactive Media)が最近発表した以下のインターネット10大警報の紹介がありました。
1)FTC無作為査察 2)インターネット税 3)FCCの料金規制
4)通信品位法の復活 5)インターネットでのデータ収集の禁止
6)電子メールリストやデータの使用禁止 7)商業電子メールの禁止
8)通信キャリアの責任(コンテンツ規制) 9)ウェブコンテンツへの罰則
10)Vチップのコンピュータ搭載
●電子ネットワークで通信の秘密をどう守るか
小林博昭さんから、通信の秘密に関する法的な規制があったとしても、インターネットでは、技術的に通信の秘密が侵される危険は常にあり、これにどう対応したらいいかの問題提起がなされました。
●日本文化とプライバシー
飯坂譲二さんから、通信の秘密を守るのに、技術や法律制度に頼るだけでなく、「閉じられた部屋の会話を立ち聞きしない、聞こえても他人に口外しないといった文化をネット社会に実現する」ことの必要が提案されました。
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From: 佐倉 統
Subject: [00186] Re:ネット分科会のまとめ
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杉井様、ネット分科会のみなさま
横浜国大の佐倉です。
大学の入試業務と遠来のお客さんの接待に追われているうちに、はや締め切りとのこと。まったくこれでは主体性もなにもあったもんではありませんが(^^)、最後に簡単に一言&御礼の言葉を申し上げたいと思います。
●情報洪水について
情報の公開については、公開するべきだという意見にはなんの異論もないのですが、情報公開こそがよい社会を構築するための切り札だという雰囲気に違和感をおぼえます。情報が公開されればされるほど、質・量ともにエンドユーザーでは処理できない情報が流通します。そうなると、結局は「情報処理代行屋」が横行します。金融機関の格付け機関など、その典型的なものではないでしょうか。あるいは、通信販売のカタログも同じ。すべて、エンドユーザーではなくて、仲介機関が整理し、アレンジした情報です。エンドユーザーはこれら「代行屋」の流している情報をもって、「自分たちが判断しているかのように」振る舞います。これでは結局、情報が公開されていないことと大差ない、むしろ、一見公開されているように見える分、ソフトで抵抗しがたい情報支配のような気がするのです。杞憂かもしれませんが、このような、ソフトな支配が裏口からそーっと忍び込んでくる可能性は少なくないように思うのですが……。
●日本人の主体性について
自分が名付けたスレッドが繁栄して、とてもうれしいです(^^) 我が子の成長を見守るような気持ちでした(^^)(^^) ありがとうございました。この件に関しては、飯坂さんが「ネット社会のポジティヴな面をとりあげていきたい」とおっしゃったのと同じ感覚で、「日本社会(含、文化、制度、伝統、etc)のポジティヴな面を積極的に発掘し、取り上げ、さらには磨きをかけていきたい」と思っています。もちろん、ネガティヴな面を修正していくことも不可欠ですが、何のかんのといっても、それしか日本の生き延びる道はないとも思っています。
●杉井さんとみなさんへ
杉井さん、司会役本当に御苦労さまでした。かなり熱のこもった議論が展開されて、整理されるのに相当エネルギーを使われたと思いますが(そのせいでお風邪をひかれた?(^^;; おかげさまで大変楽しく、充実した議論に参加できました。みなさんの御意見は本当に生産的で、法律の面などずいぶん勉強させていただきました。杉井さんとみなさんに改めて御礼を申し上げます。
オフライン会議には所用で参加できませんが、これを機会に今後ともお互いに議論する場が継続されるとうれしく思います。なんだか、とってもお名残惜しいです。
またいつか、どこかで(ネット上で?)お会いできるのを楽しみにしています。
では、また!
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From: 杉井 鏡生
Subject: [00187] 分科会のまとめとサミットへの提言
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杉井鏡生です。
中井川禎彦さん、「行政情報化推進共通実施計画及び平成10年度取組方針(要旨)」のご紹介をありがとうございました。市民生活への影響という面でも、民主主義への影響という面でも、関心のあるところですね。この会議では十分に討議できなかったのが残念ですが、まだ数日間会議室は閉じませんので、個人でも提言やご意見がありましたら、お寄せ下さい。
ところで私のほうは、ようやくと分科会の要約を書いたところで、ホッとして肝心のまとめとサミットへの提言を忘れていました。
この分科会では、法律制度や日本人の主体性の問題についても、かなり日本固有の問題が取り上げられ掘り下げられてきました。しかし、3月10日が世界サミットという性格上、日本固有の問題だけを継続して掘り下げていただくのは難しいと思います。
10日のサミットのほうでは、紛争解決にしろ、情報洪水の問題にしろ、ネットワークの運営問題にしろ、福冨さん風にいえばそれぞれ「ベクトル」が違う、様々なネットワークをめぐる社会問題の解決・調整に適した社会的な主体と場、およびそれらの相互関係はどう変化するのか(または変化しないのか)という点を議論いただけると、今回の議論につながるのではないかと思っています。
この場合、主体や場という言葉が適切かどうか分かりませんが、イメージしているのは、国家、産業、NPOのような民間の公共的組織や既存の組織とは別のネットワーク型組織、個人、それと、そにおける調整のためのシステムをイメージしています(産業なら市場での取引というように)。
ただし、単純にどれが中心かという問題提起にならずに、相互関係がどう変化するかとなったのは、ここでの議論では、国家がその役割を担うという意見にしても、NPO的な役割が大きくなるという意見にしても、個人の自己責任と市場的な調整に任せるという意見にしても、それだけで完結できるというのではないというニュアンスを受けたからです。また、相互の関係変化だけでなく、企業が、市場型だけではなく、消費者との協働型の調整手法を組み入れるというように、それぞれの主体自身も社会関係の作り方と調整手法を変化させてくる可能性もありそうに思うからです。
また、世界サミットといいながら、日本固有の問題も多く議論されたように(議長のコーディネーションにも問題があったでしょうが)、グローバルな問題とローカルな問題をどう調整させるのかというのも、サミットでの論点になるのではないとか思っています(この場合、グローバルに対するローカルだからといって、国家が単位になるだけではなく、もっと小さな地域や集団という単位を含めて、多重に相互の多様性と共通性を求める動きがあるだろうと思います)。
それから、「日本人の主体性」の議論で出ていたネットワーク社会の姿も論点になりそうに思いました。飯坂さんが問題提起された、個人の自己責任をベースにした適者生存型の競争社会モデルには賛否いろいろありましたが、実際、米国の産業界は、ネットワーク化の進展とともに、規制緩和と経済効率主義に基づく大競争時代に向かって、格差はますます拡大しつつあるように見えます。しかもこれは、経済のグローバル化にともなって、好むと好まざるに関わらず、世界の産業界にも浸透しつつあるように見えます。はたして世界はこうした方向へ向かうのでしょうか。
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From: 富永 英義
Subject: [00188] Re:ネット分科会のまとめ(2)
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富永英義@早稲田大学です。
この2月間諸々のことで忙殺されておりメールを処理する暇もありませんでした。
3月2日より5日までAIC(Asia ISDN Council)の総会で
Kuala Lumpurにいます。いまこのサミットのメール320通を
読み終えたところです。4日夜中零時(4日と5日の間の零時か?)が締め切りの
メセイジをみて少々慌ててます。
杉井鏡生様
Subject: [00184] ネット分科会のまとめ(2): 大変分かり易く
纏めて頂き有り難うございます。
何れも同意出来る興味あるご意見ですが、日ごろ取り組んでいる研究内容
の一端を紹介します。
>●情報洪水への対処>>・・・・情報冷蔵庫の提案・・・
情報を発信する手段の古代から現代までの変遷をみるまでもなく、音声しか
手段がない時はその場に同席した者の理解力と記憶力で情報が伝播、保存、
再生されてきました。印刷、新聞、雑誌、図書館、電信、電話、音声放送、
TV、VTR、DVD、PC、LAN、等が出現し発展してきた経過に
於いてシステムの運用や情報の収集、編集、配布、記録を健全に行なうには、
なんらかの集中的権限が必要であった。
その性格のために、国家や法律、宗教、モラル、習慣、等に基ずく規制や規範
の存在が当然視されてきた。しかし、今日のインターネットシステムの発展の
形態を見ると、大分に趣を異にしている。
すなわち、終局的に見れば、人類全ての個人が、情報を自由に発進し、誰でも、
何時でも、自分の意志で、それを受け取る手段を手に入れることになるので、
今までのような集中的又は、一元的な規制や規範は意味がないものとなる。
(分散的、多元的で、多様な規制や規範の必要性を主張する人はいるが。)
このような環境では、個人が消費する情報は,発信され疎通する全情報量に
比べて,微少である。 このことは、生産され流通する情報の大部分は、一時的
にグローバルネットワーク内に存在していてもいずれ時間が経つと消滅すること
を意味する。
情報はその利用目的に応じてその価値は多様ではあるが、その価値を、空間的
時間的広がりの尺度で評価することを試みたい。すなわち、情報の価値=Bは、
その情報の生産、蓄積、流通、消費に関わることが期待される人数=N(ネット
ワーク内のノード数やトラフィック数に換算出来る)とその価値の寿命=Tとの積を
評価値にとる。寿命=Tは、その情報が生まれてから価値が半分になるまでの
時間(情報価値半減期)で定義できる。(B=N*T)
(データベースモデル)
今、情報価値=B0なる情報をN0個のデータベースにコピーをしたとする、全体の
情報価値が半分に成った時、コピーしたデーターベースの個数を半分にすれば
生き残ったデータベースには情報価値=B0なる情報を再び置いたことになる。
このことを繰り返して最後に1個のデーターベースが残るまでに要する時間は
T*log2N0
となる。
(情報冷蔵庫モデルの提案)
FTTH、ATM、B−ISDN等の実用化の結果、情報伝送コストが劇的に下が
り、日常的に個人が消費できる3桁以上の情報の雨が家庭や職場降って来る状況
を想定した時、個人が消費するほぼ1年分の全ての情報を蓄積可能なメモリー
にその受信情報を記憶させるシステムを情報冷蔵庫とよんでいる。 大多数の
情報は冷凍状態にあり情報の賞味期間(情報価値半減期)が過ぎても利用され
ないものは自動的に消却されるきのうがある。
これは、マルチメデイア郵便受けと個人電子図書館と電子書斎が合体した機能
を考えればよい。
このシステムの実現には、膨大な情報の洪水の中から必要とする情報だけを選
択的に取り出すインテリジェント機能開発が肝要となる。
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From: 田澤 由利
Subject: [00189] 一般へのネット普及について
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こんにちは。田澤由利です。
1、2回書きこませていただいただけで、ほんど参加できず、このネット上での会議が終わるにあたり、少々後悔しております。
(9ヶ月の赤ちゃんを含む幼児3人と私が次々とインフルエンザにかかり、皆さんのご意見を拝聴するのが精一杯というのが実情でした)
でも、最後に自分の反省も含めて、一言述べさせていただきたく、しゃしゃり出てまいりました。
皆様の論議を読ませていただき、私には参加できるほどの知識も経験も無いことを痛感しつつ、実にさまざまなことを勉強させていただきました。
こんな貴重な経験をさせていただき、本当に感謝しております。
しかし、ただ1点だけ、この会議を通して、私がもったいないと感じたのは、「一般人の視点の不在」でした。
ネットワークというのは、より多くの人が参加してこそ、社会や経済、生活面でさまざまなの効果が現れるものです。しかし、その大多数である「一般人」の視点での論議があまりなかったように思います。
一般人、特に、「家庭」「主婦」「こども」といったいわゆる「社会」と少し離れた場所に存在する人にとって、ネットワークはいまだ別世界のものです。
しかし、この層を取り込まずして、本当の「普及」は無いと思います。
杉井さんが、まとめでおっしゃってくださったように、「エンドユーザーへの理解普及の課題」についての論議が、本会議では取り上げられることを願っております。
・・・それなら、ネット会議の中で、自分から話題提供すべきだったのでは?
というご意見、ごもっともです。実は、それが今回の私の反省と後悔です。
皆様の議論の中に、庶民的な話題を投げかける勇気がなかったこと、自分で情けなく思いつつ、反省の意味も込めて、このメールを書きました。
以前、大手のコンピュータ会社の社長さんに「パソコンもネットワークもまだ普及していない。もっと地べたに目を向けて欲しい」とお話したところ、「そういうのは放っておいても、徐々に広がるものだ」というお返事でした。
一番肝心なところを見てもらえていないことに、少なからず失望を感じました。
私ごときが生意気を言ってしまいましたが、本会議をネット上で見た一般の方々が、何かしら身近に感じることができればと思います。
今回、本会議やレセブションには、諸事情にて参加できませんが、またどこかで皆様とお話できるときを楽しみにしております。
ありがとうございました。
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From: 末光 美恵
Subject: [00190] Re:一般へのネット普及について
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末光です。
田澤様。
私の身の回りは、ほぼ一人1台のPCがネットワークに接続しています。業務連絡のみでなく愚痴までもメールに乗せているくらいです。普及という言葉が当てはまらないくらい、普通に根づいた環境です。
しかし、一歩外に目を向けると、ネットワークで何ができるの?将来はそうなるらしいけど、自分の生活には降りかかってこないだろう。もうコンピュータなんて難しくて。と敬遠されているようです。
From: 田澤 由利 Subject: [00189] 一般へのネット普及について
しかし、ただ1点だけ、この会議を通して、私がもったいないと感じたのは、「一般人の視点の不在」でした。
ネットワークというのは、より多くの人が参加してこそ、社会や経済、生活面でさまざまなの効果が現れるものです。しかし、その大多数である「一般人」の視点での論議があまりなかったように思います。
おそらく、このMLに参加すること自体既にネットワークを生活に取り入れている人ばかりだからでしょう。私も先にそのような環境を手にしたからこそ、これからの人達のために何をしてあげられるか、我々は何をすべきかを論じたかったです。
From: 田澤 由利 Subject: [00189] 一般へのネット普及について
以前、大手のコンピュータ会社の社長さんに「パソコンもネットワークもまだ普及していない。もっと地べたに目を向けて欲しい」とお話したところ、「そういうのは放っておいても、徐々に広がるものだ」というお返事でした。
一番肝心なところを見てもらえていないことに、少なからず失望を感じました。
残念な回答ですね。放っておいても普及はするでしょうが、普及を早め、障害や設定の困難を取り除くことが我々の仕事だと思っています。
サミットには参加しますので、そのような議題が持ち上がればよいと期待しています。
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From: 佐々木 かをり
Subject: [00191] 一般へのネット普及について
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佐々木かをりです。閉会間際に、滑り込みで発言させていただきます。
実は私も田澤さん同様、気遅れしていたのです。
From: 田澤 由利 Subject: [00189] 一般へのネット普及について
しかし、ただ1点だけ、この会議を通して、私がもったいないと感じたのは、「一般人の視点の不在」でした。
・・・それなら、ネット会議の中で、自分から話題提供すべきだったのでは?
というご意見、ごもっともです。実は、それが今回の私の反省と後悔です。
私の気持も一緒です。パソコンやインターネットを事業にしている関係者や、それらを研究している人たちだけが話し合っているのでは、今使っていない人たちに声が届きにくい、ということなのだろうと思います。「社会がどうなるのか」という論議が重要である一方で、「私の生活はどう変化するのか」というのが、将来のユーザーにとっては一番大切な情報なのですから。
私は当日パネルディスカッションにも参加させていただくので、ユーザー代表(?)で参加することが、私の貢献かな、と考えている次第です。
杉井鏡生さんのご発言の、
From: 杉井 鏡生 Subject: [00187] 分科会のまとめとサミットへの提言
グローバルな問題とローカルな問題をどう調整させるのか。
この場合、グローバルに対するローカルだからといって、国家が単位になるだけではなく、もっと小さな地域や集団という単位を含めて、多重に相互の多様性と共通性を求める動きがあるだろうと思います。
これについては、話題に上がっていた「主体性」とも、また、上記で指摘されている「一般人と関係者(?)」の関係とも似ていると思います。情報の多様性を追及しつつ、共有していくことによって全体が前に進んでいくという基本原則を個人個人が認識し、常に、その「お互いの成長」のために貢献しあうという関係。それこそが、世界中を張り巡らす網、wwwの本当の目的なのでしょう。なんだか、私たち一人一人が、試されているのかもしれません。
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From: 杉井 鏡生
Subject: [00192] まとめのご提言をありがとうございます
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杉井鏡生です。
佐倉統さん、田澤由利さん、末光美恵さん、佐々木かをりさん、まとめのご提言をありがとうございました。
佐倉さんには、「日本人の主体性」論議で、スレッドのヒット・メーカーになっていただきまして感謝しております。
また、田澤さん、末光さん、佐々木さんには、「一般へのネットの普及について」の議論が不十分であったと、ピシリと締めていただきまして、ありがとうございます。
この問題は、時間の限られた本会議より、当電子会議のほうが向いていたと思うのですが、議長の力不足のため、論点の抽出すら未消化のまま本会議に引き渡さざるを得なくなったこと、申し訳なく思っております。
会議のあり方という点では、高木さん、福冨さん、山崎さんが問題提起された、より具体的な問題を緻密に議論すべきという意見と、その一方での、より理念的なところを議論すべきという意見についても、この1か月半の電子会議や短時間の本会議で、両者をすべてこなすのは無理にしても、今後の問題として、テーマの絞り方、会議の形態と期間、参加メンバー構成(今回のようなクローズド方式もオープン方式も含めて)、他メディアとの連携などを含めた社会的なフィードバックの仕方など、より効果的な討議の場のつくり方を検討する必要を感じました。
会津さんたちがやられたテレビ東京での会議や、ハウベン氏が「ネチズン」のなかで紹介されている1994年のNTIA会議などの経験も蓄積されてきているわけで、それらに今回の電子会議の経験を加えて、ネットワークの社会問題を効果的に討議するための今後の会議のあり方というのも、本会議での議題になり得るかも知れませんね。
一言書こうと思ったのが長くなってしまいましが、皆様、お忙しいなか、長い期間のお付き合いをありがとうございました。このあとは本会議を十分お楽しみ下さい。本会議の出演者のみなさまは、どうぞ頑張って下さい。
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