世界情報通信サミット2000
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ネット会議
セッション1 -「モバイルとデジタル家電が拓く新ビジネス 」
デジタルデバイド
From: 築地 達郎
.Subj: 【1】デジタル・デバイド問題
ここまでの間、「デジタル・デバイド問題」に関するコメントがわずかでしたので、「そろそろ」と思っておりました。

(1)2人の父の発言
(2)「ソニー対松下」の帰趨

(1)2人の父の発言
これは非常にプライベートな話ですが、象徴的だったので。

実は一昨日と昨日、実父と義父から相次いで「おれも携帯持とうかな」というつぶやきが漏れました。いずれも私が携帯電話を触っているのを見てでした。実父は69歳、義父は74歳。それぞれ人生の終盤に近づいたという感覚を持っており、だからこそ情報に飢えているようです。

いや、杉井さんがコメントされていたように、「communication」よりも「connection」に飢えているといった方が正しいかもしれません。

彼らの生活の友は「テレビのリモコン」。ボタンの大きい奴です。あれにiModeとかWapとかの機能がついたらおもろいのにな、と思いました。

(2)「ソニーvs.松下」の帰趨
ソニーが家電の本格的なネット販売に乗り出しましたが、松下は即応できないだろうと同社社内でも言われています。それはご多聞に漏れず強力な販売店の存在です。

しかし、上述(1)のような需要層があるとすれば、それにはソニーは対応しにくいだろうと。三洋が数年前から販売店強化を図ってきたのも同じビジョンではないかと思います。

「デジタルデバイド時代はヒューマンインターフェースをきちっと確保できる企業が勝つ」――という仮説を提示したいと思います。

From: 香取 一昭 
.Subj: 【2】デジタルデバイド
それにしても、インターネットがあたりまえになってから、何だかやたらに忙しくなってしまったように思います。メールのおかげで、アポを取ったりする能率は格段に上がったわけで、その分だけ多くの人と効率的にお会いできるようになりましたし、情報のやり取りも楽になりました。しかし、同じ理由で仕事が増えたように思います。また、ウエッブを使っての情報収集のおかげで、昔よりも情報収集力は向上したように思いますが、その分だけ忙しくなったのも事実です。

結局、便利になり、個々の仕事の能率はあがったかも知れないけど、忙しさは変わらず、というよりはむしろ忙しくなって、「ゆとり」は増えていないというのが、私の場合です。

せっかくこのような貴重な場を与えられながら十分利用できないでいることについて深く反省するとともに、ネットとの付き合い方、リアルとのバランスの取り方、精神的・肉体的なタフさなどが、「デジタルデバイド」のどちら側に身を置くことになるかの境目になるような気がしてきました。

From: 関口 和一
.Subj: 【3】デジタルデバイド
【2】香取一昭
せっかくこのような貴重な場を与えられながら十分利用できないでいることについて深く反省するとともに、ネットとの付き合い方、リアルとのバランスの取り方、精神的・肉体的なタフさなどが、「デジタルデバイド」のどちら側に身を置くことになるかの境目になるような気がしてきました。
香取さん、この点、同感であります。最近はパソコンの使いすぎで目が見えなくなってきました。コンピューターや通信技術の発展が容赦なく進むことで、人間の体がボトルネックになっているような気がいたします。その意味ではデジタル・デバイドの意味も考え直さねばなりませんね。
モバイル・デジタル家電の市場性【10】藤原洋
「PC派」「ケータイ派」「プレステ派」という論点について、一言発言させて頂き ます。これらは、ヒューマンインタフェースの違いであって、本質は、IPネットワークをしっかりと作っておくことだと思います。多分、アプリケーションは、何が出てくるか予測は不可能だと思いますが、どれも目的と利用環境が違うので、比較すること自体難しい面があるのでしょうが、それぞれに多くの可能性があり、ずばり全部○だと思います。
確かにそうだと思います。逆に言えば、日本ではケータイやゲーム機に対する期待が高いわけですが、もう少しPCに対する技術革新という点でも、日本企業はもっと頑張らなくてはならないのではないでしょうか。

From: 福田 尚久
.Subj: 【4】デジタルデバイド
まず一点目は、使う者と使わない者との格差の問題も重要だとは思いますが、個人的には、使う者の中で、活用する者と使われてしまう者との格差の方が、まずは直近の問題として大きいのではないかということです。ちょっと大袈裟な表現になりますが、人類の進歩は、本来、考えるという行為をより発展させることにあると思うのです。歴史上の様々な発明や革命は、その本質的な意義として、人間により多くの事を、より多くの時間、考えさせるようにしてくれたということにあると言ったら言い過ぎかもしれませんが、そういった側面があることも事実です。情報を得るということも、本来、それが考えるという行為を支援したり、刺激したりすることで、初めて活きてくることではないでしょうか。

ところが、多くの情報メディア、誤解を恐れずに敢えて議論のために例えを出すと、テレビや新聞でも、そこから考える刺激を得ているという意味で活用している人が大勢いるのと同時に、逆に考えるということをある意味では退歩させてしまっている人たちも多数いるのが現実ではないでしょうか。情報が次から次に入って出ていくと、それだけで何かわかった気になってしまい、自分なりに十分解釈して消化し、更にそれを発展させるというところまで行っていないということは、自分自身を見ていてもよくあります。世の中の多くの人たちを見ていると、そういう傾向が加速されているように思えるのは私だけではないと思うのですが。

様々な情報メディアを多用しないでいる者と、使ってはいるのだけれど活用できていない者とでは、どう見ても前者に分ががあるように思えます。また、使っている者の中で、活用できている者の比率は、現状では実は低いように思えます。ということは、使うものと使わない者との格差という意味でのデジタルデバイドの問題というのは、実は中間産物としては喜ばしいことなのかもしれません。

もう一点。これは、関口さんのSteve Jobsへの取材時のコメントに端を発した議論だったようですが、PCか、ゲームか、ケータイかという点です。率直なところ、これは消費者が決めていくことですので、どうなっていくのかはわかりません。ただし、同時に、消費者が決めていくということは、消費者が何を求めているかということになるはずです。当たり前ですが。

その観点からすると、消費者は、本当に便利になっていくことを追い求めているのでしょうか。様々な技術論争において、あれができる、これができるということが強調されますが、それを消費者が求めているかは、全く別の問題だと思います。一点目の論旨と同様ですが、人間がより人間らしい生活をする、できることが重要で、その為に貢献する物は消費者が受け入れていくでしょう。その際、自分は何をしたくて、そのことにどのくらいフォーカスできるかということが、より忙しくなっていく我々の生活において、極めて重要な問題になっていくと思います。例えばリビングルームでテレビに向かった瞬間、それは例えばある人には、ビデオに収録しておいた映画を観てリラックスする瞬間でしょうし、また、受験勉強中の子供が毎日楽しみにしている番組を一つだけ見る場合、それは、ストレス解消というか、気分転換なのだと思います。勿論、テレビの前に座る、イコールWeb TVという人もいるのかもしれませんが、それはそれで、テレビというメディアの持つ面白さを享受できていないのではないかと、余計な心配をしてしまいます。

また、ケータイについて言えば、ちょっとした伝言をメールの形でやりとりすることは便利ですし、ますます多くの人が使っていくと思います。ただし、それはそれで便利ツールではありますが、インターネットをそういった形でしか使わないとしたら、それは不幸ではないでしょうか。従って、例えばPCを補完するという意味ではケータイも重要ですが、それはあくまでも補助的ツールだと思います。

私自身、初代自動車電話、初代携帯電話(確か移動電話と呼ばれていました)からのユーザで、今はiModeを使っていますが、ケータイを手放せるようになることが、今の些細な夢です。食事をする時には食事を楽しみ、移動する時には思索に耽り、旅先では新たな出会いを楽しみ、お金の心配をする時には心配する、といった、その時、その時を大切にした人生こそが、我々が本質的に求め続けているものではないでしょうか。彼女と食事をしている時、一本の携帯電話が通じなかったばかりに例え数億円失っても(あるいは儲け損なっても)、彼女との時間はそんなお金には代えられないでしょう。なんて言える日は、きっと来ないでしょうね、私には(苦笑)。

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